眠れぬ夜のお伽
―四夜―




言葉の呪。 名前はその最たるもの。
そのものの本質を映す――或いは封じる――鏡。諸刃の呪文。


彼に相応しい名前をずっと探していた。彼の本質をあらわす言霊を。
彼自身の口からは訊きだす術がないことを知った時から。
新しく与えようにも、一度名づけて呼んでしまえばそこには否応なく「カタチ」ができ、「カタチ」に填め込むための「歪み」を伴う。 彼の本質をそんなことで損ないたくはなかった。必要もなかった。
家の中にはいつもふたり。彼と自分しかいなかったのだから。






彼が酒の風味に酔うというなら、男にとっては彼の体液こそが麻薬だった。
昂ぶり、衝動のままに突き上げる、その陶酔が脳裡に幻影を見せる。

例えば色。
極彩の渦巻くような光の乱舞。晧晧たる白。対極の闇。
あるいは風景。
異形の山野や、鳥や、獣を。

最初、それは小さな光点に過ぎなかった。
高揚している精神は見知らぬ景色を俯瞰で捉え、映像は矢継ぎ早に切り替わる。
雪を頂く高峰が眼前に近づき、次の瞬間には中腹の草地に降り立っていた。
そこには威風堂々と聳え立つ一本の大樹が在り、その根本に、頭だけを毅然とあげて白い優美な獣が臥せっている。
梢から零れる陽射しが草地も獣の身体も光と影の複雑に入り混じったモザイク模様に染め上げ、 艶やかなその毛並みの上でちらちらと木漏れ日が踊っている。
微風を受けて葉末がそよぎ鳥が囀る。不思議な静寂の中で、男は虎によく似たその獣に一歩近づく。
その瞳の中にも、光が踊っているようだった。
漆黒でありながら、総ての色を内包するブラックオパールの虹彩。
まっすぐに見つめてくる知性を湛えた眼差し。既視感に囚われ、不意に、男は理解した。
この獣が彼なのだと。
瞬間、脳裡に叩き込まれるような衝撃で、それまで垣間見たイメージが一気に収斂していった。

高耶という名に。




「…たか…や。……高耶さんっ」
迸る咆哮が自分のものだったのかどうか、もう定かではない。
男の意識はそのまま失墜してしまったから。

意識喪失ブラックアウトはそれほど長くはなかったろう。
はっと気がつけば、幻視の中そっくりの瞳と視線があった。
理知に煌めく黒曜の瞳。 自分の身体の下に抱え込んでいたはずの彼がいつのまにか腕からもがき出て、しげしげと自分を見つめている。
「……オレを縛っておいて自分だけ寝てるんじゃねえよ」
ふてくされたように呟く、その言葉を拾った耳が信じられなかった。掠れてはいたものの、それは初めて聞く、彼が発した人語だったから。
まじまじと凝視する男の貌に、彼――高耶――は照れ臭そうな笑みを浮かべる。
「おまえが呼んでくれたから戻ってこれた。ありがとな…直江」
改めて腕を投げかけて擦り寄ってくる。
自分の名を呼ばれたのにも気づかず、ただ彼に抱擁されているという事実に呆然としていた男
――直江――が、おそるおそる高耶の身体に手を回した。
「高耶さん?」
確認するような響きに擽ったそうに高耶が笑った。
「そうだよ」
「本当に高耶さん?」
「ああ、そうだ」
「あなたの……名前?」
「うん…」
男の頬を柔らかく指が這う。その滑らかな動きは今までの彼とは別人だった。もう彼は獣ではない。心が、自分と同じ想いが、触れる指先から伝わってくる。
知らず、涙が流れた。
希いは、叶ったのだ。




「オレも上手くはいえないんだけど……」
魂が閉じ込められていたのだと、高耶は言った。
この世界に流されてきたときに。
どういう加減か、本来の姿から人に変化し、そしてその慣れない身体に理性は眠り、本能だけが暴走してたらしいと。
「オレは半分影の生き物だから。光の中では半分しかいられない。おまえが呼んでくれておまえが縛ってくれてはじめてひとつに戻れた」
「あなたを縛る?」
「そう。だって見つけてくれただろう?オレの中から。オレも失しかけてた名前を。だから」
ふわりと微笑んで高耶は告げた。
「妖魔は名前を見出しその名で縛った相手に服従を誓う。……だから、オレはおまえのものだ」
……おまえだって、オレのものだけどな。そっと高耶は心で呟く。
見交わした視線に名前を探し当てたのは直江だけではない。 高耶もまた、あの瞬間に鳶色の瞳から読み取っていたのだから。
でもそれはいまさら言葉にするまでもないこと。 名前の誓約とは係わりなしに、この男は、生涯自分を離さないだろうから。
「高耶さん…」
自分を呼ぶ直江の声がこんなにも心地いい。うっとりと眼を閉じて高耶が強請る。
「…もっと呼んでくれるか?もっと、もっと……」

魂に寄り添う名前を、ともに生きる半身の声で。





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イメージを言葉にするって難しい…。いまさらですがヘタレで舌足らずなのはご容赦を(苦)
真実の名で縛るというのは「ゲド戦記」あたりの刷り込みが強いです。
で、一応十二国記を下敷きにしています。どこが?!とどつかれるかもしれませんが。
高耶さんはスウグという妖獣でしかも人間にも変身できる半獣…ということで(苦笑)
蝕に巻き込まれてこちらの世界に流されたショックでちょっと身体と精神のバランス崩れてたことにしてください(拝み)
獣型の高耶さんもいつか書ければいいなあ…(遠い目)
しょーもない管理人の戯言に最後までお付き合いくださったみなさま、どうもありがとうございました。心から御礼申し上げますm(__)m




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