とろとろと眠りに落ち、またふわりと浮上する。 泡虫みたいに繰り返す。夢と現のあわいを。羊水に護られた赤子のように。 そんな半睡半醒の中でずっと誰かの存在を感じていた。 まるで小さな子どもに戻ったよう。 あたたかくやわらかく大切に包み込まれ、 慈しまれるみたいに ずっと名前を呼ばれていた。愛しくてたまらない、そんな優しい声音で、繰り返し。 だから、きっとこれは夢だ。自分の願望がみせたしあわせな夢のカタチ。 此処にいれば大丈夫。なんの心配も要らない。 だって……が傍にいるんだから――― そう疑いもなく信じきれる、しあわせな夢だ…… 「………ます。高耶さん」 不意に明瞭に響いた自分の名に、はっと目が覚めた。 自分はベッドに寝ていて、傍には自分を買った男が自分のことを見下ろしている。 昨夜のあれこれが鮮明に思い出されて、かあっと頬が熱くなる。どうしていいのか解らない。 どぎまぎしているうちに、男は淡々とした口調で何かを説明しはじめた。 聞き逃すまいと一生懸命耳を傾ける。 どうやら彼はこれから仕事で、自分はまだ暫く此処で寝ていてもいいらしい。 そう理解した時には男はもう部屋を出ようとしていて、 せめて『行ってらっしゃい』を言おうと身体を起こそうとして―――撃沈した。 身体に力が入らない。無理やり込めるとギシギシ軋む。 中途半端に固まっているうちに、男が助けに来てくれた。 おとなしく横になって差し出された水を飲んで、布団を頭から引っかぶりたいのをかろうじて堪えて、なんとか礼らしき言葉を口にする。 その時の男の顔ったらなかった。 こちらの心臓を射抜く、蕩けそうな極上の笑み。 男が部屋を出た後も、しばらく胸の動悸が静まらなかった。 そもそもが奇跡みたいな出逢いだった。 どうしてもまとまった金の工面が必要で、代価に差し出せるのはもう自分自身しかなくて。 度胸試しにダメ元で声を掛けた、それがたまたまあの男だったのだ。 仕立てのいいスーツを着て、すらりと背が高く端整な容姿をした 金にも女にも不自由なさそうな色男。 自分の置かれた境遇とは対極の存在に思えて、嫌がらせのように因縁つける物言いになってしまったけれど。 彼は自分を言い値で買って、そのくせ、自分の欲求は二の次で。 それどころかつい洩らしてしまった借金のことを知ると、丸々全額を用立ててくれた。 どんなに感謝してもし尽くせぬぐらいの恩人だ。 彼の言うことなら何でも聞く。何でもする。それがどんなに恥ずかしいことでも。 そうして彼に抱かれて彼の所有になって。それでもまだこんなに優しいなんて――― 本当に夢みたいだった。 考えを巡らすうちに、また、眠ってしまったらしい。 次に眼が覚めたときにはいくらか動きがラクになって、ようやくベッドに起き上がれた。 サイドテーブルに用意されていたのは、クロワッサンとカフェ・オ・レのボウル。 豊かな風味と優しい甘みのそれらを口にしたら、もう手が止まらなかった。たちまち皿を空にしても、まだ空腹感は収まらない。 (好きにしていいって言ってた……) そろそろと床に脚を下ろし慎重に立ちあがる。おぼつかない足取りでキッチンへと向かう。 ダイニングのテーブルには高耶の行動を見透かしていたみたいにメモ書きが置いてあって、 それにしたがってありがたく冷蔵庫に仕舞われていた数種のデリとデザートまで頂戴した。 お腹が満たされれば、再び眠気が差してくる。 (夜までには、まだ間があるし) そうして高耶はベッドに戻り、蓑虫みたいに丸くなる。 シーツに包まれば、安心を誘う微かな残り香。 その香りが連想されてくれたのか、深く息を吐いて眠りに落ちようとする寸前、不意に、あのしあわせな夢の正体は全部直江だったのだと閃いた。 ……ひょっとしてオレのこと、一晩中、抱いていてくれた? ツキッ! 身体の奥底、火花が散った。 どうしよう。どきどきが止まらない。 眠気は瞬時に飛んでしまった。ベッドで丸くなったままで、高耶は一生懸命考える。 媚薬の作用があると、あの男は言っていた。 確かに昨夜はぬらりとした感触で敏感な場所に触れられて、とてつもなく興奮したけれど。 でも、本当にそれだけ? あの男のことを、あの行為を思いだすだけで、じんわり身体が熱くなる。奥が疼いてたまらない。 薬なんて、とっくに抜けてるはずなのに。 もう一度、あの高みの感覚を味わいたい。男の手で触れて欲しい。 男の昨夜の仕種が、それによってもたらされた快感が、逐一、脳内で再生される。繰り返し、繰り返し。 ともすれば、自分の手でなぞりたくなる衝動を、ぎゅっと上体抱きしめてやり過ごす。 (なんか、オレ、ヘン―――?) それは充分な休息と食事とで、気力と体力が回復した証でもあったのだろうけれど。 高耶はその日の残りをずっと、自らの欲情の熾火を持て余し、煩悶しながら過ごすことになった。 |