残月楼夜話

―散花―





「これはいったいどうしたわけです?もうあなたはとっくに発ったと思っていましたが」

十六夜に呼ばれてやってきたいつもの離れ。
だがそこに彼女の姿はなく、代わりに高耶が端座して深く頭を垂れている。 敷き延べられた夜具の傍ら、鮮やかな緋襦袢一枚を纏った姿で。
意味するところは明白で、だからこそ我が目が信じられなかった。

「先方には予定を日延べしてもらった。その前にどうしても直江と話したかったから。そしたら姐さんが此処を使っていいって……」
座礼のまま律儀に詰問に応えて、それから静かに面を上げる。 思わずたじろぐほどの真摯な眼差しだった。
「忙しいのに騙すみたいに呼び出してごめんなさい。直江がオレの将来まで考えてくれているのは、ありがたいと思っています。 でも。このまま何年も逢えないのは……直江がこの国からもいなくなるのには我慢が出来なくて。 今まで言えなかった正直な気持ち、伝えたくて……」
「正直な気持ち?」
いったい彼は何を語ろうというのだろう。半ば予感した言葉はあまりに自分に都合が良すぎて。 心に枷を掛けながら、うわずる声で問い返した。
息をひとつ吸って、高耶はまっすぐに直江を見つめ、一息に口にした。
「助けてくれてありがとう。あの時からずっと直江のこと、好きだった。 子どもで、男で、絶対に叶わないって解ってても止められなかった。……直江を困らせたいわけじゃないから言いつけには従います。でも、その前に一度だけ」
逸らすまいと懸命に自分を見据えていた目が、堪えきれぬように伏せられる。
「……一度でいいから、どうか情けを」
消え入りそうな声だった。

そんな高耶の必死の告白を、直江はただ呆然と聞いていた。
焦がれると同時に諦めていた。 会うたび顔を輝かせ無邪気に膝に乗り上げてきた彼が、いつからか次第に距離を置くようになった頃に。
それも成長の証。仕方のないことと無理矢理心に蓋をして、ようやく彼を手放す覚悟を決めたというのに。
彼も同じ気持ちを抱いていた。しかも、彼のほうから求めてくれるなんて。
夢見ごこちで呼びかける。
「高耶さん……」
おずおずと顔をあげた彼に微笑みかける。
「おいで」
あの頃と同じように、とんと膝を指し示し、迎え入れるように両手を広げて。
泣き笑いの表情で、高耶がしがみついてきた。

もう小さな子どもではない高耶を膝に抱けば息が掛るほどに顔が近い。伏目がちに恥じらう顎を仰のけて初めて口づけた。
触れてしまえばもう押えはきかなかった。歯列を割り、たどたどしく応える舌を嬲り。
貪るように深まるそれに息が続かなくなったのだろう、
「んんっ……んっ!!…」
苦しげに身を捩り腕突っ張らす様にはっとして、苦笑しながら一度彼を解放した。
「もしかして、キスは初めて?」
腕に縋りついて荒い呼吸を整えていた高耶の肩がぴくりと揺れる。 言葉以上に雄弁な仕草に目の眩む思いがした。
「…こういう時はね、鼻で息を継ぐんですよ」
そう教えて耳朶を食み、唇を滑らせる。
「……ん…」
まだ息を乱しながらも素直に頷く彼がたまらなく可愛くて、直江は再び深く重ねた。

自分を好きだと言ってくれる高耶の心を疑うわけではないが、此処は男女の色事を生業にする処。 幾らでも知識は拾える。 なにより彼自身がこんな思い切った据え膳を仕掛けてくれるからには、それなりの経験を積んでいて当然だと思っていた。
皆から愛されている高耶のこと、好奇心でも戯れでももしも彼がそう望めば、指南役には事欠かなかったろうから。
でも彼は。
口づけひとつにこんなにも物慣れない初心な様子を見せる彼は。
ひょっとしてまだ誰の手にも触れられていない雪の白さを保っているのだろうか?

無粋は承知で、それでも確かめずにはいられなかった。
「ねえ高耶さん。水揚げに緊張しすぎて粗相のないよう、初めて客の相手を務める娼妓は予めそれなりの手ほどきを受けるのが此処の作法だと聞いたことがあるんですけど。 あなたは?……あなたも誰かに此処を慣らしてもらったの?」
たくし上げた裾から忍びこんだ手にあらぬ所を撫で上げられて、高耶が大きく目を瞠った。とんでもないとばかりに真っ赤になって首を振る。
「本当に?まだ誰も触ったことはない?お願いだから正直に答えて」
「……ぁ…」
いささかニュアンスを変えると今度は心当りがあったらしい。赤くなったまま俯いてしまった。
問い詰めるのは野暮の骨頂と、太夫がいたなら詰られただろう。 けれどどうしても高耶の口から答えを引き出したい直江は、無言で続きを促した。
長い沈黙に耐えかねたか、相変らず俯いたまま、観念したように高耶が言った。
「……自分で………した。姐さんたちとは違うから…綺麗にしないと、直江、厭なんじゃないかって……」
(私が?あなたを厭がる?)
なんていじらしいことを言ってくれるのだろう。そんなこと、あるはずがないのに。
嬉しすぎて笑い出したいほどなのに、彼を試す言葉が止まらない。
「……何を挿れて綺麗にしたの?教えて」
「……ゆび…」
「指を?何本?」
「……いっぽん…だけ…」
「上手に含めた?狭い入り口だから大変だったでしょう」
からかうようなその口調に、胸に顔を埋めていた高耶がいやいやと頭を振る。
「直江っ!もう…っ」
許してと。涙に潤んだ瞳で見上げられて。頭の芯が灼き切れそうだった。
考える間もなく彼を抱えて立ち上がる。
「……今度は、俺がじっくり解してあげる」
欲情を潜せた囁きに、期待なのか怯えなのか、高耶の身体がぶるりと震えた。



次へ







こすげさんちの裏庭「水揚げ」シーンで浮んだお話
なにげに言葉責めする直江さん(←殴)

いきなりだと話が見えないので(笑)少々補足を
年頃に育った高耶さんを禿のままにはしておけないので
きちんと男の子に戻すべく知人の経営している少人数制の寄宿学校への編入を勧める直江さん
で、自分は仕事の勉強のため渡英することに
…てな感じの流れで高耶さん実力行使の巻
でもオイシイ思いしてるのは直江。なんだかなあ…







BACK