敷居を跨いでほんの数歩、敷かれた夜具にそっとおろした。 褥に横たわる彼の姿はまるで雪に散り落ちた椿の花のよう、凛としながら息を呑むほど艶やかだった。 そうしてしばらく見惚れていると、高耶の方が居たたまれなくなったらしい。 じりじりと、それとは解らないような動きでその膝が立てられていく。 不意に、はらりと裾が割れて白い肢が剥き出しになった。 膝頭は行儀よく合わせたまま、足先だけを緩く広げて。触れさえすればすぐにでもこの身を開く用意はあるのだと、そんな風情で。 いったい彼はいつのまにこんな手管を身に付けたのだろう? くらくらする思いで見つめるうちに、 「直江…」 と、小さく名を呼ばれた。 一度は確かに交わった視線が一瞬上に流されて、すぐにまた伏せられる。 つられるように枕もとを仰ぎ見て、ああ、なるほど、と直江は思った。 枕盆には喉を潤す水差しの類や懐紙と共に小さな蓋物が置いてある。見事な蒔絵の施されたその器の中身は媚薬の混ぜられた練り膏だ。 客に充分な愉悦を供するため、そしてむやみに娼妓の身体を傷つけない目的で使われるそれを補充し整えるのも 禿の役目だったのだろう。 おまけに彼はちゃんと男の煽り方まで心得ている。 眼差しひとつでこんなにも雄弁に次の行為を強請ってみせるのだから。 無垢なはずの彼の、思いがけない遣り手ぶりに、微苦笑が洩れた。 さてどうしてくれようか。 はやく食べてくれとしきりにせがむこの可愛らしい雛鳥を。 笑みを湛えたまま、直江はじっくり思案する。 彼の思惑に乗り、コトを勧めるのは容易いけれど。 でも、それではあまりにも――― やがて、直江はおもむろに高耶に覆い被さった。 が、唆された下肢には触れず、襟を寛げてその首筋に顔を埋める。 「!」 予想外の愛撫に彼の鼓動が跳ね上がるのが解った。 少しずつ場所をずらしてはきつく吸い上げ刻印を散らしながら、彼の纏う薄絹を肌蹴ていく。 肌を味わう唇が胸元にまでたどり着いて、伊達締めに手が掛かる。 と、その手を高耶に封じられた。 「やだっ!」 泣きそうな声だった。 「どうして?誘ったのはあなたでしょう?そのあなたの帯を私が解いて、なぜいけないんです?」 押えられた手はそのままに顔をあげ、意地悪く問い返した。 「だって…」 真っ赤になって瞳を潤ませた高耶が口ごもる。 爪にかけた獲物をいたぶるようだと、自分でも思った。なのに止められない。愛しいはずの彼が困惑する その様に、いいようのない快感がぞくぞく背筋を走りぬける。 「だって、何?」 興を削がれたふりをして、わざと冷たく突き放した。 「こんな身体……恥かしい…」 「恥かしい?」 無理矢理引き出した答えの不可解さに思わず語尾が上がった。それを責められたと思ったらしい。たどたどしく理由を連ねる。 「……胸もないし、柔らかくもないし。直江がこれまで知ってるような女のひととは全然違うから。 それなのに抱いて欲しいなんて図々しくて呆れられるんじゃないかって……」 「だから身体は隠したまま局部だけを曝してすぐに交わる気だったんですか。サカリのついた犬猫みたいに? 言わせてもらえればそっちの方がよっぽど失礼な考えですよ」 「……ごめんなさい」 それこそあきれ果てた口調での冷静な指摘に、高耶が顔を歪ませた。己が非礼に、今初めて気づいたように。 堪えきれぬ涙がひとすじ眦を伝って、顔を両手で覆ってしまう。 嗚咽の合間になおも繰り返し詫びながら。 「本当に、あなたときたら…」 虚勢の剥がれた素の高耶を前にして、直江も言葉が続かなかった。 高耶を此処に預けたのは失敗だったかもしれない。 少なくとも匿う理由もなくなった時点で彼には別な環境を整えてやるべきだったのだ。 それなのに、女の子の格好をした彼があまりに愛らしかったから。 訪うたびに嬉しげに出迎えてくれる幸せを手放し難くて。 高耶自身も太夫に懐いているからともっともらしい理屈をこねてずるずると禿としての生活を送らせ、結果、歪な価値観と要らぬ引け目を植え付けてしまった。 男の身体を恥じるほど。 彼の咎ではありえないのに。 「ずいぶんと辛い思いをさせてしまいましたね……」 想いのたけをこめて彼の頭を撫でた。 おそらくは此処に来てから一度も鋏を入れなかったであろう艶やかで美しい、長い黒髪。 その髪でさえただ漫然と伸ばしていたわけではなく、彼の決意と努力の成果なのだと思うと、無性に愛しかった。 一房を掌にすくいとって口づける。それだけで収まらずに涙の伝ったこめかみにも。 終いには彼の手を除け、瞼や頬や唇に何度も何度も羽のような口づけを落す。 やがて彼がおずおずと瞳を開け、 「……直江?」 そう呼んでくれるまで。 |