「直江って、ほんといい季節に生まれてきたのなあ」 そう、しみじみと彼が呟いたのは、もう何年前だったか。 橘の家で、父自慢の丹精こめた皐月の花が爛漫と咲き競う庭を眺めながら、ふと口を衝いて出たような何気ない一言だった。 「暑くもないし寒くもないし。夕方でもまだ明るいし。花も緑もすごく綺麗でいっぱいだし。 神サマに愛されてるってカンジ?やっぱ直江ってそういう星の下に生まれついているんだな」 他人から聞いたらこちらが悶絶しそうな恥ずかしい台詞を、いかにも納得したような口調で言う。 気負いも衒いもない本心そのままの言葉は、おそらく心に考えていたことがぽかりと浮かび上がった無意識の独り言。 返事は期待されていないだろうし、下手に何か返したら互いに気まずくなるかもしれない。 だから、直江も黙ったまま、ただ高耶と並んでいられる幸せを噛みしめていた。 ふたりで座る縁側には、時折、爽やかな五月の薫風が吹き抜けて高耶の髪を乱していく。 そのたび首を振って 煩そうに髪をかきあげては、陽射しの眩さに目を眇める。 そして見つめていた直江の視線に気がついて、照れたように笑いかけてくる、その至福。 どんな贈り物も追いつかない、自分にとって最高の誕生日の贈物。 が、そんな直江の幸福は長くは続かなかった。 「それがねえ、そうでもないのよ。高耶くん」 開け放たれた障子の陰、奥の部屋を通りかかった冴子が、言葉じりを捕まえてさっそく混ぜ返してきたのだ。 「え?」 きょとんと見上げる高耶に、まるで猫の仔の気を引くように、ちっちっちっと、冴子は指を振りたてる。 「確かに今の気候は最高なんだけどね、あと一月もすると梅雨に入るでしょう?それで義明の時はオシメが乾かなくて苦労したのよぉ」 「姉さん!」 よりにもよってなんて話を! 血相変えて制止した時にはすでに手遅れ、高耶は興味津々といった顔つきで冴子の顔を見上げている。 「オシメ?……紙オムツじゃなくて?」 「ああ、高耶くんが知らなくても無理ないか。 昔はね、紙オムツはけっこう高価くて、赤ちゃんのいる家はたいてい布のオムツを何十枚も用意して使っていたのよ。 洗剤につけ置きして洗って濯いで必要なら漂白してまた濯いで。洗濯機があるから、ここまではいいんだけどね。 お天気悪いと、なかなかすっきり乾かなくてね〜。でもオシメする本人はまだ二ヶ月足らずの赤んぼでしょ? 乾燥機にかけるとごわごわになって可哀想だから、仕方なく一枚一枚アイロン当てて乾かして滅菌したの。母さんが忙しい時はそれがあたしと照弘の役目でね。今考えても、ものすごい手間だったわ。 おまけにこの子ったらあたし達の苦労も知らないで、ちょっとお尻が濡れるとすぐにぴーぴー泣く性質だったし」 「ねえさんっ!記憶にもない頃のことを今さらあげつらわないでください!」 たまりかねた直江の抗議をしれっと冴子は受け流す。 「あら、だって本当のことだもの」 おまけに高耶までが冴子のペースに同調しだした。 「ふ〜ん。そうなんだ。大変だったんだね」 「そうそう。だからあたしたちとしては高耶くんみたいに七月とかそれ以降に生まれて欲しかったわね。叶うことなら」 しきりに感心する高耶と、腕組みをしながら勝手な言い分を振りかざす姉と。 ついさっきまでのふわふわした極上の幸せはいったい何処へいってしまったのか。 もはや、泣きたい思いの直江、二十歳の誕生月だった。 若葉繁れる五月は、そんな悲喜こもごもの詰まった季節――― |