さわさわと、香草の葉叢が揺れる。 微風が運ぶ、芳しい香気と優しい子守唄。 そこは閉ざされた環の中の世界だった。 オレは何者でもなく、ただおまえに育まれ、おまえを呼吸して生きていた。 しあわせだった。満ち足りていた。 だけど――無意識にオレは考えていたんじゃないかと思う。 オレがオレになるために、いつかはこの結界から出なきゃないことを。 きっと帰ってくるから。生まれ直しておまえのもとに。 このキャットニップの薫る庭に―― 広々としたベッドの上に、毛艶のいい猫が二匹。 糊のきいた真っ白なシーツをしわくちゃにしてじゃれあっている。 整えられていたベッドメークはすでに見る影もなく、枕もカバーも乱雑に床に散らばっていたけれど、 この部屋の主にとってはそんな惨状に注意がいくより、猫たちそのものの姿に釘付けになるかもしれなかった。 思わず目を覆いたくなる悪夢のような光景として。 彼らは、いま、互いの肢体に夢中になっているのだった。 仔猫の域を脱したばかりの少年にとって、それは、バッタを獲るより庭の香草を荒らすより刺激的で楽しい遊びだった。 抱きしめてくれる飼い主の優しい掌の感触よりも心地よかった。 くねらすように四肢を絡め、ぴんとたった耳の付根を甘噛みする。ベルベットのような質感と光沢を備えた尻尾がしなやかな蛇のように動いて相手の体を撫で回す。 くすぐったさに身をよじり、笑いを堪えるように鼻に抜けていた少年の呼吸が切なげな喘ぎにかわるのに、そう長くはかからなかった。 絶えず攻守の位置は入れ替わっていたはずなのに、いつのまにか押さえ込まれるのは自分の方だ。 受ける愛撫も次第に遊びとは言い切れない濃厚なものになっていく。 人一倍負けん気は強いのに、そうされるのがちっとも厭ではないのが我ながら不思議だった。 体の奥から湧き上がる疼きに耐えかねて、彼は、小さく相手の名を呼んだ。 黒目がちの瞳がまっすぐに自分を組み敷く相手を見上げる。 少しばかり年嵩のその青年は、ひどく真面目な表情で無垢な瞳を覗き込むと、不意に端整な口元を笑いの形につりあげて、大きく少年の脚を割った。 秘められた箇所を曝される感覚に身をすくませるまもなく、青年の肢体が滑り込んでくる。下腹にぬめりを帯びた熱い昂りを押し付けられて、おもわず頬に血が上った。 皮膚と皮膚が密着しているせいで、自分のものもまたそういう状態にあることを否応なく思い知らされてしまう。 そしてそれが何を意味するのか、彼はすでに理解できる月齢になっていた。 そんな少年の反応を窺うように、青年は少年を見つめたまま視線を逸らさない。 すべてを見透かされているようで、急に気恥ずかしくなった彼は、拗ねたように上気した顔を背け、眼を閉じる。 そして、無意識に止めていた呼吸をゆっくりと吐くと、全身から力を抜いて相手に身を任せた。 一連の仕種を同意の証と受け取って青年が身体を進めてくる。 仰け反った喉のあたりに湿った吐息とざらつく舌の感触を感じながら熱いものが体の内部に挿入ってくるのを味わった。 同時に敏感な部分をやさしくくすぐられて毛が逆立つほどの快感が走り抜ける。 陶酔の波は繰り返しやってきて、初めて体験するこの戯れに少年が漏らす甘い悲鳴もまた途切れることはなかった。 ふわふわと蕩けそうな余韻に浸りながら少年は眠るときの癖で傍らの温もりに身を摺り寄せる。 甘えるように胸元にこすりつけた鼻先が嗅ぎとった体臭に少しだけ違和感を覚えた。 いつも自分を包んでくれるのは、独特の甘い香りと煙草の匂いの混ざったものだったから。 でも、これも悪くないな、と霞んでいく意識の中で思い直す。 よく乾いた干草の匂い。 日溜りの中でまどろむようでとても気持ちがいい。楽しい夢がみられそうだった。 しあわせそうな顔をして自分にぴたりとくっついたまま寝息を立て始めた少年の額に、招かれざるこの客は愛しげにキスを落した。 ガラにもなく、この瞬間が永遠に続けばいいと願いながら。 だがその鋭い耳はすでに人が近づく気配を捉えていた。 少年の鼻の頭をぺろりと舐めて、侵入者は窓から身を翻し、姿を消した。 誰もいないはずの部屋から物音が聞えた気がして、男は、そっと寝室のドアを開けてみた。 そして、ベッドの乱れ具合に眉を顰める。 だがその真中に、埋もれるようにまるくなって眠っている彼の愛猫をみつけると、得心したように頷いて顔を綻ばせた。 静かに近づいてその艶やかな毛並みを撫でる。 よほど眠りが深いのか、少年は寝言のような吐息でそれにこたえて体を反転させると再び寝入ってしまった。 あまりの無防備さについ独り言が口をつく。 「おやおや……、こんなになるまで、いったい何をして遊んでいたんです?」 窓の外の叢で何かがきらりと光った気がした。 しばらく視線を向けても特に変った様子もない。 気のせいかと思い直して、カーテンを揺らして吹き込む微風の爽やかさに目を細めながら、男は、掌中の珠のように慈しんでいる存在をやさしく撫で続けた。 強力な恋敵の出現を、彼は、未だ知らない。 |