帰去来
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地を這うような低いエンジン音と微かな振動が体の下から伝わってくるこの瞬間を、走りだしたくてたまらない若駒の嘶きを聞くようだと、自らも高鳴る動悸を感じながら、高耶はいつもそう思う。
心のうちで数を数えタイミングを計って、自分で自分にGOサインを出すスタート。
カーブに備えて緩めるアクセル。弾むようにリズムを刻むマシンのサウンド。体を伏せ体重をずらし車体と一体になってアスファルトに描く無駄のない軌道。 重心を戻し、わずかな直線に向けて今度は一気に加速する。回転を上げたエンジンは夜空に尾を引く遠吠えのように滑らかに音程を上げる。流れる景色には目もくれず前方だけに集中する。すぐにやって来る次のカーブ。今度は左に身体を倒す。 

風と一体になるようなこの独特の高揚感が好きだった。
メットで狭められた視界を左右に流れる風景、唸りをあげる風の咆哮。マシンの振動。
感じるのはただそれだけ。
走る間は無心になれる。心のうちにどれだけの鬱屈を抱えていたとしても。

  (ま、こんなもんかな)
心に描くイメージ通りの走りができたことに満足した高耶が途中の展望スペースに停車しヘルメットを脱いだのは、カーブの連続する尾根筋の山道を何往復かした後だった。
四月も末だというのに、山の風はまだ冷たい。それでも降りそそぐ強い陽射しは確実に季節の移ろいを主張していている。
風を避けて、木製の柵を乗り越え、土手ののり面に腰を下ろす。
枯草に覆われた地面はほどよく輻射熱で暖められていて、その温みがかじかんで強張った身体にしみわたる気がする。誘われるように寝転ぶと、噎せ返るような土と萌えだす若草の匂いがした。
微かな気配に視線を流せば、ぴんとたった枯草の茎を天道虫が一匹、よじ登っていく。
「なんだ。おまえもひなたぼっこか」
先端に到達して、しばらくじっとしていた赤い七宝細工のような虫は、やがて羽を広げて飛び立っていった。
つられて見上げた空には、鳶が一羽、ゆったりと旋回していた。
平和だな…。ふと、そんなことを考えた。

免許を取得して数ヶ月。念願のGSXを手に入れてまだ数週間。
こつこつと努力を重ねようやく実現した夢でも、技術的にはまだまだ未熟だという自覚はあるから、 習うより慣れろとばかりにこうして暇を見つけては愛車に跨る日々が続いている。
緩やかなカーブの連続からなるこの五キロばかりの郊外の道路は、練習するには絶好のポイントだった。
本来は森林公園内の幹線道路である。
丘陵地とそこの植生を保護する為のこの公園には、車のための道といえば、管理棟や展示室の集中する中央広場までの舗装道路が一本あるきりで、後は、観察と散策のための遊歩道が網の目のように敷地内に張り巡らされている。
通り抜けも出来ずわざと不便に造られたような袋小路には、整備されているわりには車の往来はほとんどなく、もちろん信号もない。
それが逆に格好の練習コースとしてライダーたちに知られることになったのは、皮肉な話だ。
高耶も、バイト先の先輩に穴場として教えてもらい、雪解けを待ちかねてやってきたのだった。

斜面には、光とともに鳥の囀りも降ってくる。
ようやく温もりの戻った半身を起こして、傍らに放っていたデイパックから、ペットボトルを取り出し、口に含んだ。
見るともなしに視線を流せば、下の木立の中を、小さな影がせわしなく移動している。シジュウカラの群れらしい。鈴を振るような賑やかな声が聞こえてくる。
かと思えば、意外なほど近くの繁みからはホーホケキョと鶯の声。
お手本通りのきれいな鳴き声で、思わず高耶は微笑する。
此処に通い始めた先月、路肩に雪の残る頃のその声の主は、まだかなりヘタクソで調子っぱずれだったのだ。鳥でも人間でも習練が必要なのは一緒らしい。
さらに頭上からはピッコロのような声色。
木立のさらに向こう、草原の広がるあたりの上空で雲雀が高らかに歌っているのだ。
(けっこう覚えてるもんだな…)
鳥の種類と鳴声がすんなりと結びついて名前が出てくることが、なんとなくおかしい。これらの知識は、昔、他ならぬこの公園内の施設で学んだことだったから。
この自然公園は市内の小中学生ならば必ず何度かは訪れる体験学習の場でもあったのだ。
(こんな形でまた世話になるなんてな)
そんなことを思いながら、目を閉じたその時、
テッペンカケタカ。
不意に懐かしい響きが聞こえた。無意識に聞きなしをしてしまってから気がついた。
不如帰だ。
若葉の萌えだす戸外で聞くその声音は、青空に抜けるかのように明るく響き渡って、高耶は一瞬混乱する。まるで二種類の記憶が存在するかのようだった。
ひとつは今と同じに陽射しの中の伸びやかな声。それは小学生の頃、ジオラマの録音されたテープから流れてきたのと同じもの。五月という季節に相応しい夏告げ鳥。
それともうひとつ。
胸がはり裂けんばかりに悲痛に聴こえた、閨の中の闇の声。
あれは、まだ直江と暮らしていた頃だった。
そういえば、あれから不如帰の声は聞いていない。森のない街中の団地住いに戻った身では、聞きようもなかった。

直江…。
しばらく封印していた名前とともに、様々な想いが溢れ出してきて、高耶はなんとも言えずに鉛を飲み込む。

中二の初夏に別れて以来、直江とはもう三年近くも逢っていない。
その夏休みにすれ違ってからついに再会の機会はやってこなかった。
音信が途切れたわけではなく、折りにふれて品物や手紙は届く。直江本人も松本にやってくる。だが、それは決まって高耶の不在時に限られていた。
周囲はその間の悪さを嘆いてくれたけど、そういうことが何度か重なって、高耶もうすうす察した。
もう直江は自分とは逢うつもりはないのだと。
直感はやがて確信に変わった。
例えば、直江から高耶宛に品物が届く。誕生日やクリスマスや、旅行の直前に餞別と称して。
そのたびに高耶は精一杯の気持ちをこめて礼状をしたためる。その中に自分の些細な日常の悩みや相談をさりげなく織り込ませながら。
それは、再び返ってくるはずの返書に同じ直江の日常を期待する小さな仕掛けであったけど、一度として叶ったことはなかった。
思いやりに溢れて真摯に相談に答えてくれる手紙には、高耶を気にかけている橘の家族の様子や甥姪たちのまき起す小さな事件が、面白おかしく様々に書き連ねてあったけれど、 その文面の何処にも直江個人に関する私事はなかったから。まるで、故意に避けているように、何ひとつ。
高耶にすればたった一言。それさえあれば、不安は杞憂に過ぎないと信じることが出来たのに。
もちろん、そんな思いを漏らしたら気のせいだと周囲の大人たちは笑い飛ばしただろう。或いは強引にでも直江を引き止めて逢わせようとしてくれたかもしれない。
だからこそ、言えなかった。
直江の困った顔は見たくなかったから。

次の年の夏。
放っておけばとし子はまた橘家へのお使いを頼みそうだったから、高耶が先手を打った。
学習塾の主催する受験のための夏期講習に、まるまる一夏参加したのだ。 おずおずと口にする息子の頼みを、高耶の父はどこかほっとしながら快諾し、安くはないその費用を払ってくれた。
その年は結局美弥が高耶の代理のように宇都宮に滞在して、嬉々として帰ってきた。

そして、去年。
無事に高校に入学してはじめての夏休み、今度はバイトに明け暮れた。
バイクという新しい目標が出来たのだ。
免許を取りたいという希望を、今回も父は少し驚きながらも聞き入れ、金銭面でも応援しようといったのだが、それは高耶の方で辞退した。 その時のどこか哀しそうな複雑な父の表情を今でも高耶は鮮明に覚えている。
どこかぎこちない親子。
これまでの経緯を考えれば無理もなく、お金ですむことならば少しでも甘やかして罪滅ぼしをしたいのが父の心情だったろう。
その心に添えないことをすまないと思った。それでも素直に受け取るわけにはいかなかった。
父を許せないのではなく、突っ張りたいのでもない。
ただ、自分の力でやり遂げたかった。
もっと正確には、そうやって夢中になってのめりこめるものが欲しかった。直江のことを考えないですむように。 

そうやって直江のいない日々を埋めてきた。
そして、生きていけるのだと解った。彼なしでも。
バイト先の先輩にはやはりバイク好きが何人もいていろいろ親身に教えてくれたし、勉強も仕事も、それを両立させるための忙しさも、目標があるから苦はならなかった。

そうして、今、自分は念願の自分の愛車を所有している。何も不自由はしていない。今の自分は幸せだと、土手の草原に寝そべって高耶はぼんやりと考える。




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もうムリ。書けないといいつつ、結局続きを考えちゃう自分って。。。
里山の風景、うちの近場なんですが。
松本近郊にもそっくりの道路がある!と後で某さんからお聞きして
嬉しいやら恥ずかしいやら(^^;)






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