夏宵悠遠
―BIRTHDAY SHOWER―



誕生日でも特別なことは何も要らないから――と、そう高耶が直江に告げたのは七月に入って程なくのことだった。
高価な贈り物も、旅行も食事も。ただ普段通りの穏やかな一日でいいのだと。
「高耶さん……」
画策していたあれやこれやの楽しいプランをいきなり反故にされて、絶句した男の顔がよほど情けなく映ったのだろう、 高耶は睨むようなきつい視線をふっと緩めてふわりと微笑う。そして、呆然としている直江の首に自ら腕を投げかけて身を寄せた。
「これ以上はバチがあたる。だって、一番欲しいものはもう手に入れたんだから……」
肩に顎を預け、頬と頬が触れあう位置で囁かれ皮膚を震わす声音。火照った肌からちりちりと伝わる高耶の体温。

おまえがいてくれさえすれば何も要らないと、そんな真情をこんなふうに伝えられて、いったい誰が抗えるだろう?
目の眩むような幸福に直江には力いっぱい高耶を抱きしめ、ただ頷くことしかできなかった。たとえそれがどんなに不本意な申し出であっても。

しかし――である。
こうして直江の物量作戦は封じたはずなのに、予想外のプレゼントは思いがけないところからやってきた。

それは、一抱えもありそうな豪華な花束の届け物で始まった。
玄関先で受け取りにサインをしリビングに戻った高耶が添えられたカードを見て首を傾げる。贈り主は直江の母、春枝だった。

あからさまに向けられた疑いの眼差しに、直江がふるふると首を振る。
「私は知りませんよ?」
「じゃ、なんで、おまえんとこのおかーさんがわざわざオレにくれるんだ?」
またこいつがまわりくどい姑息な手管を弄したかと思ったのだが、直江には真実心当たりはないらしい。本気で考え込んでいる。
「……そういえば、しばらく前にあなたの誕生日を訊かれたような…」
「で、教えたのか?」
「隠すことでもないでしょう?きっと何か贈る口実が欲しかったんでしょう。母はあなたが 可愛くて仕方ないのになかなか甘えてくれない…って以前から嘆いてましたから」
高耶の肩ががっくりと落ちる。平然と言い切る直江の様子から察するに、この程度のことは橘家では日常茶飯事らしい。なにやらこの男のルーツを垣間見た気もする。

橘母の溢れる愛情の証――カサブランカにデルフィニウム、トルコキキョウにレースフラワー……白と蒼を基調とした花たちは、その圧倒的なボリュームゆえに到底ひとつの花器には収まりきれず、 急ごしらえの幾つかの花瓶に手際よく分割されながらも、華やかにその存在を主張していた。

第二陣はクール便でやって来た。冴子からの手焼きのガトーショコラ。
食べるときには七分立ての生クリームを添えるようご丁寧にメモまでついて。
『もちろんその支度は義明にさせるのよっ!』との指示付きで。
悪戯っぽく笑う冴子の顔が目に浮んで思わず顔を見合わせた。

「やっぱりおまえのお姉さんって……」
「いい性格してるでしょう?…逆らうと後が怖いです。ちょっとクリーム買ってきますね」
そう言って笑いを口元に残したまま直江は部屋を後にする。

暫くして買い物から戻ったその顔にはさらに深く複雑な微苦笑が浮んでいた。腕には買い物袋のほかに郵便で届いたらしい大きな茶封筒を抱えている。
「あなたにです……その、うちの兄たちから」
「?」
中には何通もの角封筒がはいっていた。
「……これってバースディカード?」
様々な意匠を凝らした、そのひとつひとつの封を慎重に開けてみる。
メロディを奏でるもの。ポップアートの飛び出す仕掛け。押し花をあしらったり、愛らしい動物たちの写真だったり。
テーブルはたちまち広げられたカードでいっぱいになった。
どれにも高耶に宛てたお祝いのメッセージが書き込まれている。
たどたどしいひらがなで。
お手本通りの几帳面な文字で。
或いは流麗な達筆で。
その中には照弘からの手紙もあって、弟の家族を含めたこどもたちが高耶にお祝いをしたがったこと、品物を絞りきれずに結局は全員が思い思いにカードを選んだこと、 大量に送りつけて不躾だがどうか気持ちを汲んで受け取って欲しい旨がしたためてあった。
「みんな、よほど楽しかったのでしょうね。あなたと遊んでもらって」
高耶は声もなく、一枚一枚のカードをみつめる。
お正月に遊びに行ってそこで過ごした数時間、橘家のこどもたちと高耶の接点といったらそれぐらいのものだ。それなのに、こんな……。
カードの文字にこめられた想いが、優しいシャワーになって降り注ぐ。

おめでとうおめでとう。
お誕生日おめでとう。
またいっしょに遊ぼうね。
いっぱいいっぱい遊ぼうね。
たかやお兄ちゃん、また来てね。

不意に高耶が顔を覆って宙を仰いだ。こみあげるものを抑えるように。
「みんなあなたが大好きなんです。その思いを形にしたくて仕方がない。どうか受け取ってやってください。…あなたの意には添わなくても」
「……もか?」
顔を隠したまま振り絞るように高耶が言った。
「おまえもそうなのか?…オレ、もしかしてひどいこと言った?」
何も要らないだなんて傲慢なことを。モノに込めたい形にしたい気持ちだってあるのに。それを自分はこの男から取り上げ、ひとりよがりに封じてしまった……。
苦い後悔に嗚咽をかみ殺す高耶を直江がそっと引き寄せる。
「あなたのことはあなた以上に解っているつもりですから……。でも、お許しが出るのなら食事ぐらいは外でしましょう。花もケーキも届いてしまったから後はシャンパンでも用意して祝杯を……かまいませんか?そうしても?」
覆った掌を静かに取り除け、伺うように口づける。
されるままに受け入れる高耶の様子に提案は了承されたものとみなし、直江は薄く微笑した。

そのままシャワーのようにキスを落す。
これから始まる祝祭の夜への、その先触れとして。


                           ※BIRTHDAY SHOWER  2003.7 初出
                            kaleidoscopeさまへの投稿掌編




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暑すぎた夏の名残記念に(笑)
今まで紙だけだったお話はこれで最後です
が、まだ通販残部もあった気がするので、
寝転がって楽しみたい方はどうぞよろしく(…営業)






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