わたげ色の日々
―1―




いつもと同じ朝なのに、今朝のキッチンはいつもとは全然違ったはなやかな雰囲気に包まれていた。
炊飯器から噴きだす湯気のあまい匂い。
包丁とまな板の出会うリズミカルな響き。
コンロの上では火にかけられた鍋がことことと煮立ち、フライパンに流し込まれた卵が威勢のいい音と香ばしい香りを放っている。
キッチンを占領して器用にフライパンを操っているのは高耶、そして、それを後ろで所在なげに見守る男が一人。
一見何の変哲もないのどかな朝のひとこまが自分の領域テリトリーで繰り広げられていることに、少々落ち着かない気分でいる直江だった。
何か手伝おうにも、きびきびした後ろ姿には少しの無駄もなく、下手な手助けなどかえって邪魔になりそうだ。 実際、一度はリビングに追い払われたのだが、時々訊かれる調味料や調理器具の収納位置をドア越しに応えるのがもどかしくて、結局、こうして台所に戻ってしまっている。 椅子にかけて新聞を手にはしているものの、気がつけば、目線は流れるように動く高耶に釘付けになっている。嬉しいようないたたまれないような、なんとも複雑な思いだった。
と、真剣な表情で味を見ていた高耶が、手にした小皿を置き、火を止めて、不意に振り返る。
おたまをふりかざしながら、満面の笑顔でおもむろに宣言した。
「出来た。食器は?どれを使えばいいんだ?」

朝食をつくってやる、と言い出したのは高耶だった。何気ない直江の一言がきっかけだった。


「お米、要りませんか?新米が手に入ったんです」
その言葉に高耶が思わず眼を見張る。
「えっ!うそ。マジで?」
驚くのも道理で、未だ季節は九月の上旬、普通に新米が食卓に上るのは一月以上も先の話だ。
素直すぎる反応に、苦笑しながら直江が付け加えた。
「九州の早場米だそうですよ。全国的な知名度はないけれど、味の方は折り紙付です」
「折り紙付って……そんなもん、何でおまえんとこにあるんだよ?」
「……妥協の産物でしてね。こうでもしないと、家から帰らせてもらえなかったんです」
「?」
肩をすくめながらの直江の説明によれば、たまたま寺の仕事で実家に戻った日に檀家からこれが届いたのだという。
息子に新物をご馳走したい一心でしつこく夕飯を勧める母と、とんぼ返りで帰京したかった直江の押し問答は、一升ほどの米を持ち帰ることでけりがついた。
この時点で、すでに彼には、高耶にでも持たせたら喜ぶだろうという思惑があったのだった。
ところが、当の高耶は事情を知るにつれて次第に呆れ顔になる。
「おまえなあ、おふくろさんの気持ち踏みつけにすんのも大概にしろよ。おまえに食べさせたくて持たした米なんだろ? そのまま他人にくれてやったなんて知ったら泣くぞ。きっと」
もっともな正論にますます苦笑の深まる直江である。
「そうは云っても……自炊なんてほとんどしませんから」
「じゃ、オレがつくってやる。で、おまえに食わせて残った分をもらっていく。これなら誰の気持ちも無駄にならないし、何より気が咎めなくてすむ。……決まりだな」
そう言い切ると、さっさと手近なコンビニに入ってしまった。慌てて後を追うと、高耶はすでに生鮮食料品の陳列ならぶあたりで、 ラップにくるまれた大根だの、塩鮭の切り身だのを籠に放り込んでいる。
「つくってくださるのは、朝の一食分ですよね?」
疑わしげに直江が訊いた。使いかけの大根なんぞ冷蔵庫に残されても困る……という控えめな抗議だったのだが、かえってきたのはたった一言、
「まかせておけ」
という言葉と、自信満々の笑顔だった。


その自信は嘘ではなかった。
茶碗を片手に食膳に並んだ皿数を見ながら、直江がため息混じりに呟く。
「……ずっとあなたといっしょに暮らしたくなりましたよ……」
その言葉に、せっせと箸を動かしていた高耶が手を止め、上目遣いに差し向かいで座る男を見つめた。
「あ……?高校終わったら考えてやってもいいぜ?家賃と食費と酒代はおまえ持ちな。……ついでに週に三日は外食ってことで。 それでもいいんなら朝メシぐらいつくってやる……ところでお代わりは?」
ついもらした直江の本音をあっさりと冗談にしてしまって、高耶は屈託なく笑う。 その笑みにつられるようにして大急ぎで残りをかき込み、からにした茶碗を差し出した。
身軽に席を立って給仕をする高耶はちゃっかり自分にも三膳目をよそっている。その様子を眼の端に捉えながら、味噌汁の椀を手に取った。 具沢山に盛られた汁の実は、短冊に切った大根と油揚げだ。彩りに浮かべられた柔らかな若芽の緑が眼に鮮やかだった。
「ちゃんと使い切っただろ?」
視線を上げると、得意げに微笑む高耶の顔があった。
二人で食べるには多すぎるように思えた半本分の大根は、ほかに浅漬けと大根おろしになって卵焼きに添えられている。
「ここまでお上手だとは思いませんでした」
「そうか?毎日交代でつくってればいやでも覚えるからな……。慣れないフライパンだとちょっとやりにくかったけど」
焦がしてしまったのが不満らしい高耶にお世辞でなく直江が言った。
「とても美味しいですよ、どれも」
熱々のその卵焼きはだしを含んでふんわりと仕上がっている。
「刻んで、混ぜて、焼いただけだ。誰でも出来る。……美弥だともう少し手をかけるけど」
「へえ?」
促すような合いの手に、たちまち兄バカの顔になった高耶がのってきた。
「女の子だからかな……?とにかく手間ひまを惜しまないんだ。あめ色になるまでたまねぎを炒めてカレーにしたり、ホワイトソースとミートソース両方使ってラザニアにしてみたり。こ の間なんか、日曜つぶして豚の角煮つくってた……。まあ、やる気だけが空回りすることもあるけどな」
苦笑まじりになるところから察すると、味付けに失敗することもあるのだろう。それでも黙々と妹の料理を平らげるに違いない高耶を想像して、こみ上げてくる微笑を抑えることができない。
にやけた顔のまま無言でいる直江に、高耶が不穏なまなざしを向けた。
「料理の本なんか送るなよ。これ以上新しいもんに挑戦されたらかなわない。一番被害をこうむるのはこのオレなんだからな」
まるで胸中を見透かしたように、高耶が箸を握りしめたままの指を突きつける。本人が真剣な分だけ、そのしぐさは妙に可笑しい。
了解のしるしに軽く両手をあげてみせると、高耶は鷹揚に頷いて、再び食事に没頭しはじめた。
「本当に……あなたと暮らせたら楽しいでしょうね……」
小さく呟いた言葉の真意は、高耶には届かない。
口いっぱいに頬張ったまま、何云ってんだ?こいつ、といった怪訝な表情を浮かべる高耶をみつめながら、これでいいのだとも思う。
逢うごとに愛しくなる。その時々で違う表情をみせる高耶から眼を離せない自分がいる。
だからこそ、目の眩むような幻想(ゆめ)は幻想(ゆめ)のままでいたほうがいい。一緒になど暮らしたら、愛しすぎて、きっと壊してしまうから。 独り占めしたい衝動に駆られるたびに、そう自らに念じてきた。そして、今も。高耶が高耶であることを守るために……。

「直江?」
黙りこんだその様子に何を思ったのか、高耶が不思議そうな声を出す。
本心を禁忌の枷に繋いで、直江は穏やかに微笑ってみせた。
「さて、今日の予定はどうします?帰るのは夜まででかまわないんでしょう」
いつもの保護者の顔で持ちかけると、すかさず高耶が応じた。
「譲に頼まれてたCD探したいんだけど……。なんか輸入版の超マイナーなやつ」
「じゃ、まず買い物ですね」
あっさりと頷く直江に、高耶はかえって心配になったらしい。逆に問い返してきた。
「……でも、いいのか?仕事は?探すのはオレ一人でも……」
「一日オフにしましたから。あなたにつき合わせてください。おいしい朝ご飯のお礼に」
「だから、それはオレの腕じゃないって。メシがうまいと、なんでもうまいんだ。ちゃんとおふくろさんに御礼云えよ」
さらりと口にした言葉に照れたように高耶が謙遜してみせて、趣旨をはぐらかす。
それでも、 以前ほどかたくなに好意を拒むことはしなくなった。たとえ、それが、専属の運転手がいて便利程度の認識だとしても、ようやく甘えてくれるようになったのかと思うと、つい、口元がほころぶ直江である。
「んじゃ、ちゃっちゃと片すから。ニヤついてないでさっさと食えよな」
一足先に箸を置いた高耶に急かされてしまった。



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本当に(管理人的)初期設定の直江さんだなあ…打っててしみじみ思いました(笑)
ここから始まったうちの直江さん。
今じゃあんなことやこんなこと(おい)好き勝手してますが(殴)
こういう時代もあったんだよということでしばらくお付き合いくださると嬉しいです<(__)>





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