わたげ色の日々 U
―3―




切り通しを抜けて、海が見えるたびに隣で息を呑む気配がする。 陸地の際まで海が迫り、松を戴く小島のひしめく多島海の絶景は、車中からでも充分見応えがあった。
東西南北それぞれの高台からの眺望は昔から有名で、直江もその中のひとつ、扇谷を目指していたのだが、観光客でごった返す通りを徐行する間に、ふと、気が変わった。
「せっかくですから、ちょっと寄り道しましょうか」
そう言って、瑞巌寺に向かう。
いかめしい山門をくぐると、まっすぐに伸びる石畳の参道が眼に飛び込んできた。午後もかなり回った時刻のせいか、団体客の姿は見当たらない。 表の賑わいが嘘のように周囲には森閑とした空気が漂っている。鬱蒼と茂る老杉の杜がここでの主だった。
その一本一本の枝ぶりの見事さに眼を見張り、引き寄せられるように木立にはいる。
「すげぇな……」
天を突き刺す勢いで伸びた梢は見上げていると首が痛くなりそうだ。眩暈のしそうな感覚に、とっさに幹に手をかけて体を支えた。
「高耶さん?」
「大丈夫。……なんか、樹に吸い込まれそうになった」
まじめな顔で冗談を言う高耶に直江が微笑う。
「樹齢四百年の鎮守の杜ですからね。木霊が宿っていても不思議じゃない……」
「へえ……、そうなんだ」
改めて梢に眼をやりながら、考えていたのは傍らに佇む男のことだった。
四百年という年月の重みが、目の前に眼に見える形で存在している。
実生の芽ぶきから、威風堂々の大樹に育つまでの気の遠くなるような年月と同じだけ、この男は換生を繰り返し、ずっと生き続けてきたのだ。 周囲を無数の死に囲まれて、自分の肉体の死すら超えて。
辛くなかったはずはない。投げ出したくはならなかったのだろうか。いみじくも、今、口にしたではないか。木霊が宿っても不思議ではないと。
人間ならばなおさら、どれほどの想いがあろうと、変節してもおかしくない年月なのに。
それでも恬淡と職務を遂行するこの男がまるで殉教者のように見えてくる。
あなたがいたからです」
黙りこんだ高耶の心を読んだように、直江が言った。
「たとえ今は忘れていても、あなたという存在がいつでも私の生きる指標いみになった。 私だけじゃなく、晴家も、長秀にも」
言葉が胸に痛かった。自分ではないもう一人の自分かげとらと引き比べて、高耶の唇には自嘲の笑みが浮ぶ。 気がつけば毒のある言葉を吐いていた。
「じゃ、景虎ってほんとにすごいやつだったんだ。おまえを四百年も縛りつけて殉じさせるぐらい……。悪かったな。 知り合いが一人死んだだけでこんなオタオタしてるこんなオレの面倒なんかみさせちまって」
直江は黙ってかぶりを振る。
「あなたの本質は何も変わっていませんよ。……あなたはね、使い捨ての生命でもそんなふうに悼んでくれました。 ちょうど、いまのあなたが傷ついているように。声高に嘆くわけではない。涙するのでもない。 ただそうやって胸に抱えて忘れない。いつまでも……。そうやって一つ一つの死を内包していくあなたの魂は私たちにとって大きな救いであり拠りどころだった。 でもね、高耶さん、矛盾するようですが、私にはそんなあなたが痛ましかった……。何も出来ない自分が歯痒かったんです。 ……もしも、今のあなたに私が必要であなたを癒すことができるのだとしたら……それで充分報われる。それだけで、私の四百年なんておつりがくるくらいです。」
 誠実な言葉は、ゆるゆると高耶のこだわりを解かしていく。
改めて、高耶は老杉を見やった。
この大樹と同じ年月、自分もそれを重ねて生きていたのだとしたら。
「……おまえがいたからだ」
確信を込めて告げる。
「そうやって全部を抱え込んで、それでも生き継いでこれたのは、必ずおまえがそばにいるって信じられたからだ。 ……オレはまだ景虎じゃないけど、おなじだっていうなら、景虎だってきっとそう思っていたと思う」
思いがけない言葉に見開かれていた眼が柔らかく細められ、訥々と語る高耶を見つめている。 やはり照れがあるのか、ほんのりと頬が赤らんでいるのに気づいて、真摯な表情にいつもの穏やかな笑みが加わった。
「なんだか、愛の告白を受けたみたいですね」
「んなわけあるかっ!」
とたんに真っ赤になってむきになる高耶はもういつもの高耶で、それをいなす直江もまた、いつもの直江だった。

参道へと戻ったものの、本殿閉門の刻限までは幾らもなかった。どうしようか逡巡する直江に高耶が声をかける。
「いいよ。別に内部観なくても」
「そうは言っても……国宝ですよ?」
それこそここまで連れ出した意味がないというものだ。
ここにきて、へんに常識に縛られている直江が可笑しくて、高耶が笑う。
「いいって……。後でパンフ見る。あ、それよりももう一回来る方がいいかな。ここ有名な梅の樹があるんだろ?花が咲く頃にもう一回!」
「まあ、あなたがそうおっしゃるなら」
名残惜しそうに直江が折れて、二人は本殿見学をすっとばして、順路表示の指示に従った。
杉木立を囲むように切り立った岩肌には、あちこちに浅い石窟が掘られている。そのひとつひとつが、昔、行人が修行した跡だと聞いて、妙に感動してしまった高耶だった。
「……なんか、やっぱり人の力って凄いよな」
「……想いの力という気もしますがね」
「……おまえが言うと、洒落になんねーな」

かなり変則的な見学を終え、当初の目的だった扇谷の見晴台へ到着した頃には、すでに陽は背後の山並みに隠れようとしていた。
金色から夕映えのオレンジへ、そして昏く沈んだ薄紅へ──
空の色がみるまに変わり、それを映して海もまた七色の変化を見せる。逆光のなかシルエットになった島影が薄紫に染まった海に浮ぶ光景を、高耶は、声もなく見入っていた。
促されて我に返ったときには、互いの顔も朧なほど夕闇が迫っていた。

「ありがとな、直江」
灯りのない小道を車に戻る途中、唐突に改まった声で高耶が言った。
「……ずいぶん楽になった。もう、平気だから」
自分に言い聞かせるように言う。
何もなかったことには出来ないけれど、この男がそばにいる限り、たぶん、自分もすべてを抱え込んでいける。景虎がそうしていたように。
と、佇んでいた黒い影がずいっと近づいてきた。不審に思うまもなく掌をきつく握りこまれてぎょっとする。
「足元、危ないですから……」
言い訳のようにかすれた声が囁いて、再びそろそろと歩き出す。さぞ子供じみて見えるのだろうな……と思いながら、辺りが暗いのをさいわいに、高耶も手を繋いだまま歩き出した。 触れ合っている半身から伝わる体温が、心地よかった。


翌日。

「何、これ?」
遊覧船で湾内を廻り、名物の海鮮料理を堪能し、いよいよ帰路につく段になって、高耶はウィンダムに積み込まれた荷物の量に眼を見張る。
「何って……。おみやげですよ。母や姉の好物なんです。美弥さんのも用意しましたから、持っていってくださいね」
いつの間に買ったものか、後部座席には、白い紙袋に入ったやけにかさばる菓子らしい包みが山のように置かれていたのだった。




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借り物の描写なのにうっかり朝焼けと夕焼けを間違えてました。。。
夕方のニュースの時間帯に某和菓子店が松島の風景のCM流します
当時でさえ見慣れたものだったのに今でも続いてるのは本当にスゴイ!
宮城にお泊りの際はぜひ夕方六時台の地元民放でお確かめを。アベマリアのBGMです
ちなみに朝流れる背景は和布のキルト作品で、これはこれでまた大好きなんです
芸がこまかいぞ白○がモナカ(笑)♪





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