わたげ色の日々 U
―2―




手早く後を片付け、汗を流して、寝室を覗いてみると、高耶はもう寝入ってしまったようだった。
足音を忍ばせて横切り、自分のベッドへと向かう。音を立てないよう、慎重にもぐりこんで、静かな長い息を吐いた。
たまにしか泊まらないのだから要らないと言い張る高耶に構わず、もう一組の夜具を買い込んだのは直江だった。 部活の合宿のノリで雑魚寝でいいというのを、体が休まらないから、と、やんわりと制した。 本音は、健全な寝息をたてる想い人が傍らに密着していたのでは、理性を保つ自信がなかったからなのだが。
そっと窺ってみると、こんもりと盛り上がった布団は微動だにしない。夜具にほとんど顔を埋めて丸くなっているのが、やけに幼く見える。
とりあえずは落ち着いているその様子に安心して、眠れない予感を抱きながらも、寝返りを打って背を向ける。 それでも、疲れきった身体に引きずられて意識がすぅと沈み込むように霞んだ時、背中に体温を感じて一気に覚醒した。
やはり息を殺してからだを強張らせた高耶がくっつくように身を寄せている。
直江が目覚めたのを察してか、泣きそうな声がした。
「……わるい……。寒くてやりきれねぇんだ。ちょっとだけ背中貸して……」
そう言って、顔を押し付ける気配が伝わってくる。すすり泣くような長いため息が聞こえた。
「……泣いてやる義理なんてない。ざまあみろって……笑ってやったっていいはずなんだ。でも、何でだろうな。 あいつが……もう何処にもいないんだって思っただけでこんなに腹ん中が重い……。 同じことが美弥や、譲やおまえに起こったらって思ったら……」
限界だった。
向きを変えて頭を抱え込み、そのまま胸の中に抱きすくめる。表情をのぞかれることに抵抗があるのだろう、高耶が身を固くするのが判った。
「……生前にどんな関係だったとしても、死者を悼むのは恥ずかしいことじゃない。泣けるなら泣いてしまった方がいいんです。無理に押し込めておくよりずっと楽になりますよ」
そのまま動かない直江に安心して、緊張が緩む。やがて、押し殺した嗚咽が聞こえた。縋るように腕に食い込んだ爪に、直江も高耶の痛みを共有する。
なだめるように髪を撫でつづけてどれぐらい経ったものか、くぐもった声がした。
「おまえは……いかないよな。絶対……いくなよ。勝ち逃げしたままなんて許さねぇ……」
強い言葉の裏には哀願の響きが隠されていて、置き去りにされることへの切ないまでの高耶の心情が嗅ぎ取れた。
「馬鹿なことを言ってないで……もうおやすみなさい。私はここにこうしているじゃありませんか」
「うん……。さっき、向かい側からこの部屋見上げてた時、急に灯りが点いたろ?すっげーうれしかった。 おまえの傍にいきたかったけど、こんなざま見せるのは厭で、さっさと帰ろうと思ってたんだ。 でも……、情けないな。やっぱりおまえの顔が見たくて、見たら見たで今度は足が動かなかった……」
「そのおかげで、今、こうしていられるでしょう。もういいから。それ以上おしゃべりするん だったらその口を塞いでしまいますよ」
半ば以上本気の台詞だったのだが、高耶は冗談だと受け取ったらしい。くすりと笑う気配がした。そのままもぞもぞと丸くなって、やがて静かになる。 抱き寄せたままの肩が規則正しく上下するのを感じて、今度こそ眠りに落ちたのを確信した。
車中で考えていたことが思いがけなくも現実となってしまった事実に苦笑いしながら、夢想の通りには決してならないことにため息がでた。
甘えてくる高耶を受け止めることに喜びを感じながらも、まだまだやせ我慢を強いられることになりそうだった。


そして、数日後。
港湾の一角にある公園のベンチで、高耶は一人、海を見ていた。
右手に工業団地、左手は積み出し用の岸壁に囲まれた運河のような矩形の海は、とろりとした海松色の水を湛えていて、波ひとつなく穏やかに凪いでいる。 磯の香りさえもなく、時折、微風にのって漂ってくるのは柑橘系の香料の香りだった。
去勢されていたとしても、それでも海には違いなく、公園側のフェンス越しには、いくたりかの釣り人が糸を垂れていた。 時折、竿がしなって糸が弧を描き、芝生に白い腹を見せて魚の跳ねる様子が、無声映画のワンシーンのように目に飛び込んでくる。
沖合いからはタグボートに引かれた船が出入りする。ゆったりとした動きは見ているだけで心のどこかに麻酔でも掛けられているようだ。
薄曇の空は海上の靄とも相まって、水平線を曖昧なものにしていた。
暑くもなく寒くもなく、刻が、ここだけ止まったようだった。

「ここでしたか。お待たせしました」
芝生を踏む微かな音がして、背後から聞き慣れた声が降ってくる。
振り返った高耶は、まるで夢から醒めたひとのような顔をしていた。

──おにいちゃん?全然普通だよ。でもね、夜、眠れないみたいなの。朝なんか蒼い顔して起きてくる。 あたしが訊いても何でもないっていうけど……。直江さん、なんか知ってるの?

さりげなく訊き出した美弥の話がどうにも気になった直江は、出張先に高耶を誘ってみたのだった。
仕事ですから、ずっと付きっきりというわけには息ませんが……、とためらいがちに電話口で切り出す直江に、 最初呆れたような沈黙を返していた高耶だが、海辺の公園がすぐそばにあると聞いて、急に乗り気になった。

「本当に一人で平気ですか」
「おまえ、オレのこと幾つだと思っているんだよ。いいから、しっかり商談まとめてこいよ」
逆に激励されて別れたのが、もう四時間も前になる。
「……高耶さん?」
「あ……、もう済んだのか?」
「ええ、お昼まだでしょう?地元で評判の店を紹介してもらいましたから」
「おひるって……、げっ、マジでこんな時間!」
時計に眼をやって、慌てたようにたちあがる。
「急に腹減ってきた……。さっさと行こうぜ」
忙しなく足を踏み出そうとして顔をしかめ、そろそろと屈伸をはじめた。長いこと坐りっぱなしでいて体がすっかり固まってしまったらしい。
憑き物がおちたような高耶の仕草に、つい微笑がこぼれた。
「で……、上手くいったのか。仕事の方」
助手席に収まった高耶が何気なく口にする。
「ええ、無事に契約をとりました。双方にメリットのある話でしたから、今後とも宜しくということで」
「でもさ、そういう時って、接待とかつきもんじゃねーの。まずいんじゃないか? こんなにさっさと切り上げてオレと観光したりすんの」
意外と鋭く突っ込む高耶に直江が肩をすくめて見せた。
「……まあ、私は有能な営業マンですから。たまにはこれぐらい構いませんよ。後できちんと埋め合わせしておきます」 
開き直る直江に高耶がため息をついた。
「やっぱり公私混同してたんだ……」
「仕事を引きずってネオン街に繰り出すより、あなたと夕暮れの景色を見るほうが大切だったんですよ。ああ、急がないと間に合わないな。途中で食事もしなくちゃいけないし。秋の日はつるべ落しですから」
うまくはぐらかされた気になりながらも、高耶はゆったりとシートにもたれかかる。直江が傍らにいることが心地よかった。気が付けば、海辺でのあれこれを話し始めていた。
「……ちょうどクルマの積み込みしててさ。でかいタンカーに次々にクルマが吸い込まれていくんだ。で、数珠繋ぎに十二、三台続くと必ず白いバンが二台走ってくる。 その後しばらく行列が途絶えて、またバンが出てきて、それから車がまた動き始める。あれ、ドライバーの回収をしてたんだな。なんか……おかしかった。 でっかいクレーンとか、巻き上げ機とか、そこら中にあるんだぜ?積み込みだってオートメ化出来そうなもんなのに、結局最後は人海戦術なんだよな」
よほど物珍しい光景だったのか、楽しそうに話す高耶の声は、聞いているこちらまで幸せな気分にしてくれる。
こんな気分になったのは久し振りだった。




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某年某日のほぼ実風景。。。
背中で語ることもある(意味不明)





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