「なにー? いったい何が言いたいのよ??」 綾子は舌打ちして、ディスプレィ面から目を離した。 「何かしたか、ってなによ。何がなんなの?」 『……いや、だから』 ケータイの向こうの相手は、またも口ごもる。 『だからオレ、酔っ払って何か……』 「はあ??」 彼女はいらいらとマウスを走らせた。 「あンた、自分の酔癖ぐらい知ってんでしょ?」 『ああ……』 なに、この煮え切らない物言い、と綾子は目を険しくする。 「ポン酒ダメってわかってて、かぷかぷ。いくら可愛い白犬ちゃんに、そっぽ向かれたからってさ」 とどめ。 「ガキ」 『ああ………』 むきっ、と反発が来ると思ってたのに、と綾子は耳を疑った。 なに、この沈みきった肯定。 関わるべきではない、と理性の声は言う。 一応、平和になりました、ちゃんちゃん、であり、仰木高耶は多摩川に面した高級マンションの最上階にお大事の松本産紀州犬を迎え入れ、この春めでたく大学生になった彼にぐんぐるぐんぐると擦り寄る御満悦の大虎なのだ。 はっきり言って、なーんにも心配してやる必要はない。 ない。 ないはずだ。 ないはずなのだが。 綾子は声のトーンを落とした。 「どうしたのよ」 やめとけ、と理性が。 「ちゃんと話してみ?」 「なんだか今朝の様子が変なんだ」 主語がないが、もちろん綾子には通じる。 『変、って』 うぇーい、頭がいてぇ。 ばかだぜ、自分。何回やればこりるんだ。 ビールもワインも焼酎も平気なんだが、なぜか日本酒だけはダメなんだ。 「貼りますか?」 穏やかな声とともに差し出された冷え○タではなく、それを持っている手の方をつかまえた。 「いや、いい」 ふー、と息を吐き、額を空いている方の手でさする。 「自分の馬鹿さかげんと向き合ってるところなんだ」 ソファに横たわったまま、真上のとび色の瞳を捜す。 「ごめんな」 戸惑ったようにそらされた目。 「………いいんですよ」 静かな声で上体を戻すのを、つかんだ手で引きとめた。 「悪かった」 「いいんです」 言葉尻に笑いをにじませておきながら、また遠ざかろうとする身体に焦れた。 額にあった手で、彼の左肩をつかんだ。引き寄せ、唇を合わせる寸前で気づいた。 近づいた頬の熱さ。ひるんだところで、相手の抵抗が勝って、少し顔が離れ。 これ以上は無理、というほどに赤面した若い顔。 「え………」 いろんな言葉が一度に脳裏を駆け回り、結局まぬけな声しか出ない。 「どしたんだ、おい」 力の抜けた両手から、すい、と抜け出る。 「洗濯物、干してる途中なんです」 妙にきっぱりした声。 「今日はゆっくり寝てなさい」 すっと伸びた後姿が、バルコニーへと向かう。 耳は真っ赤だが。 えええ??? ぴたぱたと頬や額を押えてみる。 ………まさか。また何かしたんか、オレ!? えええぇーーーーー???? 途切れた声。 ケータイの向こうの沈黙に、綾子は目を閉じた。 えらいな、あたしの理性。 従わなかったあたしが悪かった。 とっておきの声を使う。 低く落着いたスペシャルに誠実なのを。 「あんた、口ゆすいだ?」 沈黙が絶句、に変わったのを感じ取って通話を切った。 ごめんね、あたしの理性。 さて、まじめな金儲けの時間に戻りましょう。 綾子は証券会社のHPを開き、携帯の電源を落とした。 了('09.10.21) |