THE ENCOUNTER
―14―




ようやく主治医から治癒証明をもらって社会復帰のかなう前日。いわば最後の休みの日に、直江は高耶を食事に誘った。
半月もの間、高耶には言い尽くせぬほど世話になった。 その恩はおいおい返していくにしても、まずは手っ取り早い手段で感謝の気持ちを彼に示したかったのだ。
が、送信したメールには、すぐに否と返事がきた。
すこし奮発した肉を買って寄るから、今晩は家ですき焼きにしようと。
高耶がそういうのなら仕方がない。しぶしぶながら直江は当初の案を諦め、代わりにケーキを買いこんだ。

今日は診察の日だと聞いていた。もう完治のお墨付きがでるだろうということも。
案の定、昼前に直江からメールがきた。 今夜は外で食事しようと。
冗談じゃない。直江の選ぶ店なんて自分には敷居が高過ぎる。ましてやあんな色男と一緒では集まる周囲の視線が気になって味なんて解らないに決まってる。
そんな思いをするより、家で肉でも焼こうじゃないか。きっとその方が落ち着けるから。
と、そんな趣旨の返信をした。
すぐさま了解の返事がきた。しかも、ケーキを買って帰ると告げてくる。
先日のことを思い出しながら、 買いすぎるな、とだけ打ち返した。
だって、たぶん今夜でおしまいだ。
もう直江の家に行くことはないんだから。
残ったケーキはおまえが一人で始末しなきゃないんだぞ。
そう、心の中でだけ呟いて、高耶は寂しく笑った。



「本当に高耶さんのおかげです。ありがとうございました」
高耶の用意した御馳走に舌鼓を打ちながら、幾度となく直江が言う。
「別にオレのおかげってわけじゃない。直江の心がけがよかったせいだろ」
「いえ、主治医も驚いていましたよ。私ぐらいの年齢になると重症化するのも珍しくないのにって。 よほどしっかりした栄養管理をなさったんですねと感心されました」
現に今も食卓には野菜の不足を補うように数種の小鉢がおいてある。その心配りには頭が下がるばかりだ。
どれだけ礼を言っても足りないし、是非何かお返しをさせてほしい、そう熱心にかき口説く直江に、 高耶はあいまいに首を振った。これ以上は何も要らないと。
「……だってさ、ここんとこずっとおまえの財布で買い物してちゃっかりここでメシ食ってたから。その分食費と光熱費が浮いて助かった。 オレの方こそ、ありがとな」
逆にそんなふうに言われては、直江が発奮しないわけはなくて。
ますます饒舌になる直江に比してどんどん高耶の口数が減っていく。
照れて寡黙になるのがこの人の常としても、今夜は少し度を超している。何か訳でもあるのだろうか。少しずつ募る 不安が現実になったのは、デザートとして出したケーキを食べ終えた後のことだった。

「御馳走さま。すごく美味しかった」
どこか痛むみたいな顔で高耶は直江に微笑みかけると、おもむろにジーンズのポケットからキーホルダーを取り出した。
「これ、返しとく。長いこと借りっぱなしでゴメンな……」
「……」
テーブルの上を自分の前に押しやられてきたもの。見慣れた自宅のスペアキーに、瞬間直江は息を飲み、すぐに高耶を見返した。
「どういうことです?これはあなたに差し上げたはずのものだ」
「もらったおぼえはない。預っていただけだ。寝込んでるおまえを見舞うにはその方が都合がよかったから。 でも、もう、今度こそ平気だろ?だから、返す」
「どうやら言葉が足りなかったようですね。なら、あらためてお願いします。この鍵はあなたが持っていてください。もちろん自由に出入りしてくれてかまわない。 別宅だと思えばいいと、確か前にもお話したはずですが」
詰め寄る直江に、高耶は緩くかぶりを振った。
「……もうそうするだけの理由がないよ」
「友達でしょう?それで充分じゃないですか」
「直江…」
それまで俯きがちだった高耶がふいに真っ直ぐ直江を見据えた。
「もう友達ごっこもおしまいだ。おまえとオレとじゃさ、やっぱり違いすぎるよ。気がつかなかったか? ここに出入りしてた人たちの視線に。みんなが、たぶん、そう思ってる」
「……馬鹿馬鹿しい。そんなことを気にするなんて」
「馬鹿馬鹿しいか?でもそう言いきれるのはおまえがおまえで自分に自信があるからだ。……オレには同じ真似はできない」
「高耶さん!」
直江が声を荒げた。
「たったそれだけのことで。私の落ち度でもないのに、ただ他人の目が気になるというだけの理由で、もう私とは付き合えないというんですか?」
「……」
そうだ。直江にとってはそれだけのことなのだ。
でも自分はそんな視線を撥ね退けられるほど鉄面皮じゃない。実際、まだこれといった取り得もなただの若造なのだから。 やっぱり直江とはこんなにも違うのだ。
直江との主観の相違、男としての格の違いを改めて突きつけられたようで、高耶は乾いた笑いを洩らす。
自嘲のそれをどうとったのか、直江は押し殺した声で言った。
「あなたの友人として側にいるために、私はどんな努力もするつもりでいた。でも、そんなくだらない理由であなたが離れるというなら。 どんな手を使ったって、あなたを此処に引き止めてみせますよ。だって、私はあなたを―――っ」
「直江!」
高耶の制止はまるで悲鳴のようだった。
「―――あなたを愛しているんですから」
ふたりの声が交錯して、同時に恐いほどの沈黙が落ちた。
ようやく思いの丈を吐き出して直江は高耶を凝視する。高耶もまた、そんな直江から視線を逸らさない。
そうしてしばらく睨みあって―――、今度は高耶が先に気配を緩めた。
「そうしてオレを睨みつける目。最初に見たおまえそのまんまだ。あの時は直前にごたごたに巻き込まれてたんだって? すごく不機嫌そうでぴりぴりしてて誰でもいいから当り散らしたいって、そんな貌してた……」
夢見るみたいに遠い昔を懐かしむ、そんな表情で高耶が言った。
「売られた喧嘩は買うのがオレの主義だから。正直、あのときのおまえにはむかついた。 とんでもなく不愉快な客だった。おまえのことはそれでお終いになるはずだったのに。なんでだか、それからもいろんな縁があって。そのたびに最初の印象と違ういろんなおまえを見せてもらった。 ありがと。直江。おまえはすごくいいヤツだった。 でも、やっぱりもう友達ではいられない。おまえの本心を聞いてしまったからには、なおさらだ。 ……なんでオレなんだよ?オレもおまえも男なんだぞ?好きだって言われて、はいそうですかってあっさりおまえの気持ち受け取れるわけないじゃないか」
子どもにいい聞かせるように優しく言って、腰をあげる。
その手をがしりと掴まれた。骨を砕かれるかと思うほどの強さで。痛みに眉を寄せながら、それでも高耶は無理に振りほどこうとはしなかった。 これはたぶん、訣別に必要な儀式なのだと。
掴み締める直江の指が白い。腕が細かく震えている。万感の思いを力に代えて込めているのだ。
血が巡らずに指先が変色し冷たくなるまでの間、拘束は続き、ふいに解かれた。
「……」
俯いた直江がなにか言った。
「?」
よく聞き取れなかったけれど、今が引き時だ。残る片手で痺れた手首をさすりながら、さよならを言おうとしたとき、 直江がもう一度繰り返した。
「……あなたも。俺を捨てるの?」
高耶を見上げるその瞳は、いつかと同じ、人形めいた虚ろな鳶色だった。






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恥かしいです。ものすごく…(ーー;)








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