THE ENCOUNTER
―16―




えらくたちの悪い冗談をいうものだ、と、思った。
高耶の知る直江と、たった今、耳が拾った彼の生い立ちとのあまりの落差に。 けれど、照弘はこんな場面でそんな悪ふざけをいう人物ではない。
最初、シンと固く凍りついて理解することを拒否していた頭にも、少しずつ言葉の意味は染み透っていって、高耶は掠れた声をあげた。
「ウソでしょう?……だって、直江は、あんなに……」
あなたにそっくりなのにと言おうとして、まじまじと照弘を見つめ直す。
似ているのは何気ない仕草や醸す雰囲気。顔立ちや背格好には何ひとつ 共通点がないことに、改めて気づいたのだ。
口を噤んでしまった高耶の言葉を引き取るように照弘が続けた。
「確かに血は繋がっていない。でも、大切な家族のひとりであることに変わりはないんだよ。 橘の家に迎えてから二十年、私たちは懸命にあの子を慈しんだ。 弟もそれに応えようとしてくれた。 私たちが似ているように見えたというなら、それは彼の努力の賜物だ。
……本来なら、憎まれても仕方がないところなんだ。知らなかったとはいえ、私たちはずっと義明から母親を奪い続けていたんだから」

穏やかでない言葉に目を剥く高耶に、照弘は静かな眼差しを向けた。視線の向こうに過去の幻影を見るように。

継母ははは、若いときからずっと私たち兄弟の世話をしてくれた女性ひとだった。 私たちにとっては母親同然の存在で、それは彼女が父の後添えになってからも変わらなかった。
この婚姻に関して、口さがない噂が立ったことは認めよう。でも断じて継母は欲得ずくで動くひとじゃなかったし、私たちもそれをよく知っていた。 生さぬ仲ではあったけど、彼女のことをおおっぴらに『お母さん』と呼べることが純粋に嬉しかった。
継母が肺炎をこじらせて亡くなるまで、私たちは本当にしあわせな家族だったんだ……」

口元に浮んでいるのは柔らかな笑み。まるで直江のそれを見るような。けれどふいにそれが引き締まる。次の言葉を紡ぐために。

「その平穏が、一人のこどもを犠牲にして成り立っていたのを知ったのは、継母の亡くなった後だった。 父にさえ打ち明けていないままだったけど、継母には故郷に残してきた息子がいたんだ」

では、その子どもが……。
目線で問うた高耶に、照弘が頷いた。その表情がすこしだけ笑いに緩む。

「まったく、始めに応対した時はいったい何の悪戯かと思ったよ。いきなり継母の旧姓を持ち出してきて、彼女を出せ。親父が死んだだの、残った子どもはどうするんだだの、耳元で喚かれた時にはね。 電話をしてきたのは、継母の遠縁に当たる人物で、継母が亡くなったことも、それ以前に継母が私の父と結婚していたことも知らなかったらしい。 相手はかなり興奮していて一方的に喋り散らしていたが、私が私と継母の関係を説明すると、急に物分かりがよくなってね。 そこからは、懇切丁寧に継母の側の事情を教えてくれたんだ」

「……」
照弘は多くを語らなかったけど、そのときのやりとりが目に浮かぶようだった。
似たような経験なら高耶にもある。何の力もない子どもだった自分は、ただ相手の剣幕に怯えるしかなかったけれど。 目の前にいるこの男なら、手もなく先方を黙らせたことだろう。そしてそれは胸のすくような痛快な切り返しだったに違いない。
こほんとひとつ、照弘が咳払いをする。何から話していいものか考えていたのだろう。暫く間があいて、再び照弘は語りはじめた。

「継母の家系、つまりは義明の家系でもあるんだが、世が世ならば大名家に連なる血筋だったそうだ。不幸にも今は見る影もなく没落したが、 さらに不幸だったのは、他ならぬ継母のご尊父が過去の威光のみに縋る偏屈者だったことだと思う。
おそらくはそんな親子の確執のせいで継母は故郷を飛び出した。
その後、どんな経緯があったのかは知らない。
けれど、継母は実の息子を子捨て同然に故郷に置き去りにしてまで、橘の家で私たち兄弟を育て上げてくれた。 そうまで献身的に尽くしてくれた理由も、やっぱり今となっては知りようがないけどね。でも、 苦しまないはずはなかったと思う。…… 彼女は、本当に優しくて聡明で、情愛の濃やかな理想の母親そのものの女性だったから。
そして私たち兄弟は、ずっと、その愛情を義明から横取りしてた。私たちよりもっと幼いあの子の方が、切実に母親を必要としていたにもかかわらず、だ」

照弘の独白が、次第に翳りを帯びてくる。

「それを思い知ったのは、取るものも取り合えず駆けつけて、初めて義明とあった時だ。
義明はあの時八つだったか…。古ぼけた寺の本堂、荼毘に付されたお骨の傍に、一人ぼつねんと座っていたよ。 継母に生き写しの天使のように可愛らしい顔立ちで、でも、呼んでも触れても何の反応もなく、まるで意思や感情を持たない人形みたいにして。
ねえ、高耶君は、こんな話を聞いたことはないかな?
抱っこもあやすこともされず、オムツやミルクや必要な世話さえろくにされない赤ん坊はね、やがて笑うことも泣くこともしなくなって、喜怒哀楽といった当たり前の感情ですら失うそうだ。
虚無にどっぷり呑まれてしまったような様子を見たとき、私は、真っ先にそれを思い出した。……この子もそんなふうに育ってきたんだろうってね」

重たい沈黙が落ちた。
せぐりあげそうに胸が苦しい。でも、言葉にはならなかった。

「あの子から奪い取ってしまったものを、どうやったら償えるだろうか。それからの私たちは、そのことばかりを考えた。 結果、少々暑苦しくて押し付けがましい愛情表現になってしまったかもしれないが」

くすりと笑って、すぐに照弘は真顔になる。

「当時の私たちの望みはね、どんな無理難題でもいい。あの子が言い出す我儘を叶えてやることだった……。 残念ながら、そんなチャンスは一度もないままあの子は成長していって、いつのまにか、外面もそれなりに取り繕ろえるほど大人になっていったけれど。でもね、高耶君。 いつも受身でいるばかりで自分からは何ひとつ欲しがることをしなかったあの弟が、初めて執着した存在が君だったと言ったら、君には不愉快だろうか?」

しみじみとした口調だった。

「もちろん君に強制できることじゃない。君が弟を嫌うのなら、どうしようもないことだ。 でも、もしも。君が、ただあれの態度に戸惑っているだけなら。どうか猶予を与えてほしい。この通りお願いする」

向き合った照弘が深々と頭を下げる。
応えようがなかった。
でも、今すぐしなければならないことなら、解る。
「……失礼しますっ!」
言うなり高耶は椅子から滑り降りると、そのまま外へと飛び出した。






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照兄、独演会。いやこんなに喋るとは…(無言)
次でたぶんおしまいかな?と(願望)







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