改めて向き合ってみれば、この男と話すのは、むしろ楽しかった。 耳を傾ける真摯な様子。ひとを引き込む話術。深みのある声。 色部の言うとおり、この男はそれほどイヤなやつじゃないかもしれない。何度も言葉を交わすうち、そう思うまでになっていたのに。 自分の最初の直感は間違ってはいなかった。 やっぱりこの男は別の世界、別の価値観に棲む男だ。到底、自分とは相容れない。 何気なく口にしたのであろう台詞にそれを思い知らされて、 そんな男にいつのまにかほだされていった自分が、今は、無性に情けなかった。 「仰木さん?」 突然罵声を浴びせかけてきた高耶のことを、きょとんとして直江は見つめる。 それがまた腹立たしい。 何故自分が急に怒り出したのか、この男はそれすらも解ってはいないのだ。 高耶は奥歯を噛みしめるようにして、言葉を絞りだした。 「あんたは金払えばそれで済む、買ったものをどうしようと自分の勝手、 ここにもの欲しそうな目でケーキ見てる貧乏人がいる、丁度いい、恵んでやろう、その程度に思ったかもしんねーけど。 そのケーキはな。うちのパティシエがあんたの姪ッ子のために丹精こめて仕上げたもんだ。 金だけの問題じゃない、その子を喜ばせたくて、 何枚もイラストおこして試作に試作を重ねて自分の時間を削って作り上げた、その子のためだけの特注品なんだ。 ……それを、要らなくなったからオレにプレゼント、だ?ひとの気持ちを踏みにじるのも大概にしやがれッ! この、トーヘンボク!!」 (……ああ、客相手にぶちきれちまった。こりゃ、クビ確定だな…) 頭の片隅で、もう一人の自分が冷静につっこみをいれる。 が、それでも止まらなかった。気がつけば、かき口説くようにして、自分の思いを口にしていた。 「……なんで、その子に持ってってやろう、とか、思わねーんだよ? 食いもん粗末にすんのがあんたらの流儀なのか?…まさか……それとも……」 (最初から誕生日の姪っ子なんていなかったのか?) ふと思い当たった可能性に高耶は愕然となった。 いったいどういう気まぐれか、直江が飲みにいきませんかと誘ってきたことがあって、 その時のやり取りがふいに脳裡に浮んだのだ。 自分の素気無い拒絶に苦笑いしながら直江はあっさり引き下がったが。 ひょっとしたら、あの時から、この男は企てていたのかもしれない。 契約はまだ生きている。高耶は所定の時間が来るまでは此処でサービスを提供しなければならない。それを受けるのがこの男一人になったとしても。 (まさか、最初からそのつもりで?) 自分を自宅に呼び寄せるために、架空のパーティをでっちあげたのだろうか? この男ならやりかねない。久しく忘れていた、あの執拗な視線が甦った。 誠実な一面の下にもうひとつ、確かに酷薄さを持ち合わせているこの男なら。 向き合う男の表情が、急に剣呑な翳りに隈どられた気がして、 思わず、一歩、退いた。 言葉の途中で黙り込み、追い詰められた獣のように急に警戒の色を見せ始めた高耶をどう思ったのか、 直江は数歩離れると、何処かへ電話をし始めた。 音声をオープンにしたのだろう。呼び出し音が静まり返った部屋に響く。 やがてかちりと音がして、おっとりとした口調の女性の声が聞こえてきた。 『はい。橘でございます』 (えっ?) 「こんばんは、義姉さん。義明です」 (ええっ?!) 高耶が聞き耳を立てているのは百も承知なのだろう。直江は指を一本唇に近づける仕草をして、そのまま電話の相手と話し続ける。 高耶も黙って耳を澄ませた。 平和すぎるほど平和な、身内同士のやり取りだった。 計画をふいにさせてしまった詫び。気遣い。お医者の診立て。女の子の容態。経過等々。 疑心暗鬼になるあまり自分がとんでもない曲解をしてしまったらしいと気づくのにさほど時間は掛からなかった。 誕生会は本当に予定されていて、男は、そのためのお膳立てをしていたのだ。 (ヤベ。オレ、自意識過剰…?) 身の置き所のないような恥かしさに襲われて、まともに直江を見ることができずに項垂れる。 義姉と会話しながらもそんな高耶の様子をも眼の端で窺がっていた直江は、おもむろに一言付け足して通話を切り上げに掛かった。 「……もう今日のことは御気遣いなく。これからケーキだけでも届けますから。……ええ……ええ…じゃ、後ほど」 (えええっ!?) 吃驚して顔をあげたのと、かちりと受話器が置かれたのは同時だった。 真正面から目があって、にこやかに直江が断言する。 「……そういうことでこれから兄の家に向いますから。仰木さんも付き合って下さいね」 頷くしかなかった。 |