直江の運転する車で小一時間、着いた先は確かに直江の兄の家で、そこには本当に彼の姪にあたる女の子がいた。 パジャマの上に羽織ったピンクのキルティングのガウン、ボアのスリッパ。おでこに冷却シートを貼っている。 発熱のせいで生彩を欠いたその顔には、ぽつぽつと赤い斑点があった。リビングのソファに母親にしがみつくようにしてちょこんと座っている。 「……水ぼうそうなんですよ。幼稚園で流行ってるらしくて」 気遣うように言い添える女の子の母親、直江の義姉にあたるその女性は、電話で聞いた声のとおりの優しげなひとだった。 体調のすぐれないときに自分のような部外者がいては負担だろう。さっさと用件を済ませてお暇しようと、 高耶は目線で直江を伺い彼が頷くのを待って、テーブルの中央に置いたケーキの箱に手を伸ばした。 「お誕生日、おめでとうございます」 言いながら、慎重にその箱の蓋を取り除ける。 ふわんと甘いクリームの匂いがして、女の子の瞳が輝いた。 ぐるりと音譜と五線譜があしらわれた縁取り。名入りのプレート。チョコとマジパンで作られた動物たちのクインテット。それらを囲むとりどりの花。 ―――まさしく、千秋渾身の力作がそこにあった。 「まあ、可愛い。ステキね。花音?」 そう歓声をあげた母親も嬉しそうだった。 「この子の名前にちなんでデザインしてくださったのね?」 「はい。その、橘さんからお聞きして……ベースにはジェノワーズに花音ちゃんの好きなベリーとムースとクリームを重ねてあります。 ……お気に召していただけたでしょうか?」 「もちろんです。ありがとう」 「お兄ちゃん、ありがとう!」 誕生日の当人とその母親ににっこりねぎらわれて、高耶も満面の笑みで頭を下げる。 やっぱり届けてよかった…と、心の底から安堵が湧き上がってきた。 しきりに引き止めるのを辞退して、二人は早々に帰途についた。 無事にお役御免となった空のケースをトランクに収めると、直江は当たり前のようにして助手席のドアに手を掛け、高耶を促す。 「どうぞ」 「……どうも」 来る時は後部座席に荷物を支えて座ってきた。でももう、そうするだけの口実も無い。 一瞬躊躇った後、ままよとばかりに男の隣りに乗り込んだ。 直江は的確な操作で滑らかに車を走らせる。 (人柄は運転に表れるっていうもんな。やっぱり全部オレの思い違いなのかな…?) そんなことを考えてぼんやりと窓の外を眺めていた高耶に、唐突に直江が声を掛けた。 「ありがとうございました」 「え?」 そう言って反射的に振り返る顔には意外の表情。すぐにそれは赤らんで彼は俯いてしまったけれど。 そんな仕草には気づかぬふりで直江は正面を見据えたままさらに言葉を重ねた。 「私の考えが足りなかった。…あなたにはご不快をかけてしまいましたが、ああして指摘してくださらなかったら気づくこともありませんでした。 あのケーキを見たとき、それと、ケーキに大喜びする姪たちを見たときにあなたの言葉の正しさをつくづく思い知りましたよ。 ……本当にありがとう」 「え、いや、そのっ」 真摯な調子で詫びられて、逆に高耶がうろたえた。 謝らねばならないのはむしろ自分の方だと高耶は思う。 なまじ悪印象を引きずっていたためにこの男にあらぬ疑いをかけてしまった。 しかも激した感情のまま、とんでもない暴言を浴びせてしまった。 確かにきっかけは男の無神経な一言だったわけだけど。それも悪意があったわけではない。 その後の行動で直江はちゃんと考えを改めたことを高耶に示してくれて、そのうえさらにこうして言葉にまでしてくれたのだ。 「あのっ…オレ、いや私の方こそ失礼しました。ごめんなさい」 頬の赤味はますます濃くなって、うわずった口調で敬語を操る様子が彼を幼くみせていて、 思わず直江は口元を綻ばす。 「無理に敬語は使わなくていいですよ。ここはお店じゃないですし。…むしろさっきぐらい威勢のいいほうが仰木さんらしいと思いますが」 「いや、でも、そんなわけには…」 「……あっちが普段の地なんでしょう?」 まだしぶとく足掻く高耶を、愉しそうに直江が遮った。 「……お店じゃない時ぐらい、私にもそんな風に喋ってほしいんです。その、図々しいかもしれませんが、客ではなく友達のひとりとしてでも」 重ねて懇願する男に高耶は諦めたように溜息を吐いた。 「……直江さんって、ひょっとしてものすごい変人……とか?こんな年下にタメ口きかれたら、普通は気ィ悪くするもんじゃないの?」 そんな揶揄するような問いかけにも直江は律儀に答えていく。 「確かに年齢は上ですが……でもそれで偉いって訳じゃない。 現にあなたは私の考え違いを諌めてくださった。対等のおつき合い、というよりはむしろ私の方が高耶さんに教えを乞うことがたくさんあると思いますが」 「……高耶さん?!」 そういう呼ばれ方は初めてだ。鸚鵡返しに素っ頓狂な声をあげた高耶だが、男は悪びれもせず微笑んだ。 「きれいな響きだ……ずっとそう思ってました。ネームプレートの綴りを見たときから。かまいませんよね?そう呼んでも?」 「あんた、やっぱりヘンっ!」 真っ赤になって口を尖らせてはみたものの、いつのまにか、車内のペースはすっかり直江のものになっていて。 じゃれるような掛け合いをしてる間に、車は、静かにマンションの駐車場に滑り込んでいた。 |