珠のために琵琶を奏でるのが高耶の新しい日課になった。 最初は自室で秘めやかに。 が、廊下に洩れ出る美しい韻律はすぐに宿中の評判になり、乞われるままに演奏の場所を談話室へと移した。 噂は噂を呼ぶ。高耶の琵琶を聴こうとする人々で宿屋は連日大変な盛況だった。 亭主の扱いも、ますます鄭重に下にも置かぬものになっていった。 噂を聞きつけた近隣の有力者たちの招待をすべて断って、あえて宿に滞在し続ける高耶たちの態度に感激した所為もあるし、 また、高耶自身は一切金銭を受け取らなくても、彼目当ての客が入ることで宿には充分な恩恵があったのだ。 もちろん高耶の傍にはいつも影のように直江が付き従っていて油断なく彼の身辺に気を配っており、 騒ぎの起こる心配をしないですむのも幸いだった。 いっそ此処を二人の家だと思って何時まででも居てはくれまいか。 ことあるごとに亭主はそう誘いを掛け、高耶は笑って受け流す。 そんな攻防がしばらく続くうちにまたひとつ月が替わろうとしていた。 冬から春への、季節の変わり目でもあった。 日毎夜毎、高耶の気を浴び続けて、鎖に繋がれた珠は艶と深みを増していく。 今はもう誰も、時折首筋から覗くそれが子どもにもらった小石だとは気づかない。最初に石を手渡した亭主までもが真顔で称えその由来を尋ねるほどの美しい宝玉に変化していた。 機は熟した。 一度都へ上ろうという直江の進言を、高耶は即座に受け入れた。 直江を助けるために手持ちの珠の気を使い果たしてしまったという譲の言葉がずっと心に引っ掛かっていたのだ。 直江に係わることならなおのこと、負い目は早く返してしまいたかった。 慌しく準備を進めていよいよ明日は出立という日、二人は高耶が世話になったユキの家に挨拶に出向いた。 「あれ、まあ」 山ほどの手土産を持って訪れた高耶と直江とを、媼は嬉しげに迎えてくれた。孫にでもするように高耶を抱きしめいそいそと居間に通す。 膝の調子がとてもいいのだとか、あれからもう一反反物を仕上げたのだとか、ひっきりなしに喋りながら。 実際忙しなく台所と行き来する様は以前とは見違えるぐらい滑らかな動きで、高耶をほっとさせる。 お湯を沸かしたり菓子を盛ったりようやく支度が整って媼が腰を下ろした後は、なごやかなお茶のひととき。 互いの近況を報告しあうのは、時間が巻き戻ったよう。 噂で聞く高耶の活躍を我がことのように誇らしげに語られてこそばゆい思いをしながらも、それが決して嫌ではなかった。 楽しげに話す高耶と媼を、一歩引いた立場で見つめながら直江も自然に笑みが零れる。 常々気にかけていた留守中の高耶の様子の、その一部分でも垣間見た気がして。 あの夜からずっと考えていた。 もしもこれを運命と呼ぶなら。 予期せぬ病も嵐も高耶が部屋を譲ったこともすべて龍珠と巡り会うための必然だったのなら。 直接龍珠とは結びつかない、高耶とこの媼との出逢いにも何か意味はあったのだろうかと。 答えは、今、目の前にある。 屈託のない高耶の笑顔という形で。 けれど、それもまた珠を巡る連鎖の中での余禄にしか過ぎず、最大の意味は、別れ際、媼の言葉によってもたらされた。 |