羽衣
-6-




月が満ち、また欠けていく。
直江と離れてからそろそろ一月が経とうかという 静まりかえったとある晩の夜更け、戸口を叩く音がした。
不穏な気配に一瞬顔を見合わせ、応対しようと気丈にユキが腰を上げる。訪問者が誰なのか、予感めいた確信があって高耶もすぐに続いた。
予想通り、手燭に照らしだされたのは直江だった。
やつれたのか光の加減か、少し険のある貌でこちらを凝と見つめてくるのが 嬉しくて懐かしくて、そして後ろめたかった。
宿にいるとばかり思って帰還しただろうに。勝手をした高耶ことを怒っているんじゃないだろうか。いや、自分に対して腹をたてるのならまだいい。 世話になった家主のユキや媼にまで怒りの矛先が向けられたら?
そのときはなんとしてでも彼女たちを庇わねばと、ユキと直江の間に割り込む覚悟もしていたが、高耶の思うより直江はずっと紳士的な物腰だった。
まずは夜遅い訪問の非礼を詫び、自分の素性を名乗り、居間に通され媼と初対面の挨拶を交わし高耶が世話になった礼を述べてから、改めて直江は滔々と心情を語りだした。
任務を終え飛ぶように道を急いでたどり着いた宿に肝心の高耶の姿がなかったこと。恐々とした亭主からそうなった経緯を聞かされ、この家を教えてもらって矢も盾もたまらなくなって駆けつけたこと。 一ヶ月ぶりに元気な様子の高耶を見て非常に嬉しい、けれど、こうして一目会ったからにはもう一晩でも離れて過ごすのはやりきれないし、 かといって自分まで此処に厄介になるのも心苦しい、性急な話だがこのまま高耶を宿に連れ帰ってもかまわないだろうか、と。
誰にも反論する余地はなかった。
高耶が身の回りのものをまとめる間、ユキは台所に飛び込んで急いで夜食を整えた。
もちろん宿に戻りさえすればもっと美味しいものが食べられるのは解っている。 でもきっと食事も忘れて迎えに来たに違いないこの高耶の連れを、これ以上のすきっ腹を抱えたままで冷え込む夜道を歩かせたくなかったのだ。
朝食用に残していたスープとパン、チーズといった簡単なものだったが、そこに込められた心遣いは十二分に伝わった。 同時に、高耶がこの家でどれだけ愛され大切に思われていたかが察せられて、直江は丁重すぎるほどの態度で謝意を示し、かえってユキを赤面させた。

これが最後ではない。 ユキとは宿で顔を合わすし、いずれこの街を出立する時にはまた改めてお別れを伝えに来るから。
そんな思いがあったからさほど寂しくはなかった。
身内にするように媼を抱きしめその両頬にキスをする。
お元気で、また来ます。
そう告げると、媼も顔をしわくちゃにしながら何度も頷いた。
いよいよ暇をしようと戸口に向かった時、奥から追いすがった媼に呼び止められた。
外は冷えるから羽織っていきなされと、ふわりと大振りのショールを掛けてくれる。 それは高耶が滞在した間中ずっと媼が手掛けていた織物、数日前にようやく織り機から外して最後の仕上げをしていたものだった。
間に合ってよかったと、媼は笑いながら言った。
高耶のおかげでまた織り仕事が出来るようになったのだから、その最初の品を記念に貰ってほしいと。
胸が詰まって何も言えなかった。
その一枚にどれだけの手間と時間を掛けたのか、間近で作業を見ていた高耶が誰よりもよく知っていたから。
ありがとう。大切にしますと、ようやく声にして深々と頭を下げる。
そうして直江に寄り添われ支えられるようにして、高耶は再び宿へと帰っていった。




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高耶さんにこんなふうに思われてる直江ってどうよ…(苦笑)








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