羽衣
-7-




心配かけて、ごめん。
人気のない夜道を歩きはじめて真っ先に高耶は直江に謝った。
でも、どうしても放っておけなかったと。
あの夜、ごった返した宿の帳場で、疲れきった家族のために必死になって食い下がる父親やぐずる下の子を抱き上げ小声で宥めている若い母親、 なによりその彼女の上着の裾をぎゅっと掴み、口を一直線に引き結んで踏ん張っていたもうひとりの子ども。
自分だって泣き出したいだろうに両親を困らせまいと我慢して。でも父親の背を見つめるその大きな瞳には隠しようのない不安が一杯に湛えられていて。
この子が安心してやすめるのなら、自分が裏部屋で雑魚寝するぐらいなんでもないと、そう思ったと。
もっともこの判断も世慣れた亭主からすればまだまだあまくて、結局は、宿を離れユキたちにまで厄介を掛けることになったのだけど。 でもそれを含めて楽しい経験だったと、そこだけはそれまでの神妙な口調に少し笑いが滲んだ。
「まったくあなたって人は……」
それまで黙って聞いていた直江が深い深いため息を吐く。
「やっぱり怒ってるか……?」
足を止め、窺うように見上げてくる彼を、思い切り抱きしめた。
「ちょっ…!直江?!」
突然視界が真っ暗になって高耶がうろたえた声をあげる。
うろたえてはいたけれど、その呼びかけには制止も怯えの色もなくて。巧まずして垣間見えた高耶の真情にたまらなくなる。
「続きは部屋でゆっくりと…、ね?」
すんでのところで自制をかけ思わせぶりに声を潜めて囁けば
「ばっ、莫迦!」
おそらくは真っ赤になっているのだろう、小鳥が羽ばたくように腕の中でじたばた身じろぐのがまたいつもの彼らしくて。
今宵、直江が完璧な外面の裏に隠していた少しばかりの不機嫌は、これですっかり霧散したのだった。


「お帰りなさいませ。ようこそお戻りくださいました」
久しぶりに会う宿の亭主は、満面の笑みで高耶を迎え入れてくれた。
「ご迷惑をお掛けしました。またこちらでお世話になります」
高耶もまた深々と頭を下げる。 その高耶を見守るように傍に寄り添い穏やかな笑みを浮かべている直江にもちらりと視線を走らせた亭主は、 まるで見てはいけないものを目にしてしまったような勢いですぐに逸らした。 そしてせかせかと矢継ぎ早に話を切りだす。
以前と同じ部屋をすでに整え火を入れてあること。すぐに夜食と上等のワインを運ばせること。 元気そうな高耶の様子に安堵したこと。もちろん、如才なく纏っている真新しいショールを褒めることも忘れない。それがユキの祖母の手になるものだと知るとお世辞でなく驚いたようだった。
彼女は十年に一人と言われた腕前で、その作品は、嘗て皇帝に献上されたほどだったという。一度は引退した彼女がまた仕事に戻るのは街にとっても喜ばしいことだ等等。
とめどなく続く世間話がようやく終わり部屋へ向かおうとした時に、ぽんと亭主が手を打って慌てて高耶を呼び止めた。
高耶が部屋を譲った親子連れ――彼らもとうに出立していたが――その子どもから高耶へのお礼の品を預かっているのだという。
「あの坊やがどうしてもあなたさまに差し上げたいそうで。あの子の宝物だったそうですよ。 川原で拾った小石なぞかえって失礼じゃないかと親御さんは恐縮しておりましたが……はい。これでございます」
そう言って、帳場の物入れから出してきたもの。 それは、確かに少し奇麗な色をした丸い小さな石ころに見えた。いかにも子どもが集めそうな石だと誰もが微笑ましく眺めるような。
高耶も微笑みながら受け取って、次の瞬間息を呑む。
掌の中で、その小さな石は紛れもない龍の波動を放っていた。





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高耶さんを引き止めての長話は絶対直江さんへの嫌がらせだと思う…(笑)







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