イラズノモリ -2-





直江と出逢ったのは、小学一年の夏、思えば最低最悪の夏休みの終わりだった。
両親が喧嘩ばかりするようになって、妹までが重い病気に罹って。 母はぎりぎりまで追い詰められていたのだろうと、今なら少しは察することもできるけど、それでも 説明もなしに遠く離れた初対面の「おばあちゃん」ちに連れて行かれるのはどうかと思う。 ましてや見知らぬその家に置き去りにされるのは。
一晩経って、姿の見えない母の行方をおそるおそる訊ねると、夕べ遅くの電車で帰った。これから妹の入院に付き添うのだと、告げられた。
吃驚して声も出ない高耶にご飯をよそってやりながら、さらに「おばあちゃん」は淡々と言い渡した。
「もう一年生なんだから、自分のことは自分でできるね。あたしだってあたしの生活があるんだからおまえのためにそうそう暇は割けないのよ」
高耶のことをあまやかすつもりはない。暮らしのペースを崩すこともしない。そう暗に宣言すると、彼女はさっさと仕事に出掛けてしまった。
一人で過ごす長い一日の始まりだった。

ご飯やおやつは用意してもらえたし、汚れた服も洗濯籠に入れておけば洗ってくれた。 お風呂にだって毎日はいって、毎晩こざっぱりとして眠ることができる。
昼間はゲームのし放題。だらしなく寝そべりながらテレビを見ても宿題をうっちゃっておいても誰も小言を言う人はいない。
数ヶ月前なら、まるで天国みたいな暮らしだと思っただろう。
でも今は。
そんな夢のような毎日が全然楽しくない。
もしかしたら。
自分がいい子にしていれば妹の病気も早く治って迎えに来てくれるかもしれない。 だから高耶は規則正しく宿題を片付け、使った食器を自分で洗い、ついでに庭や玄関の掃除をしておとなしく留守番をする日々を送った。
もしも願いどおりにはいかなくても。
学校が始まったら家に帰れると思っていた。それまでの我慢だと。
けれどそうじゃなかった。
休みが終わるのを指折り数えていた八月の終わり、唐突に、前の学校を転校してこの家から近くの学校に通うのだと聞かされた。
冗談じゃない。そんなのって勝手すぎる。
今まで溜め込んでいた鬱憤が抑えようなく湧き上がってきて、その日、初めて高耶は感情を爆発させた。
うちに帰る! こんなとこ大っ嫌いだ!ばあちゃんも大っ嫌いだ!!一人でうちに帰る!
そう喚きながら、手近にあった新聞やらティッシュの箱やら、ぽんぽん「おばあちゃん」に投げつける。
素直だとばかり思っていた子の豹変ぶりに祖母が怯んでいる隙に、高耶は部屋に飛び込み着替えの入ったリュックを掴むと脱兎のように家を飛び出した。

帰り方なら知っている。
東京行きの電車に乗ればいいのだ。
『切符』を買って『改札』を通らなきゃいけないけれど、 なに、それはどうにでもなる。いざとなれば誰かオトナにくっついて抜ければいい。
おばあちゃんが追いかけてこないうちに、急いで乗ってしまわなきゃ。駅はどっちだったっけ?

恐ろしく稚拙で大胆なプランを胸に、高耶はまず駅を目指した。
最初に此処に来たときは、一本道をずいぶん歩いた。けれどその道は山なりにずっとなだらかなカーブを描いていた。 このまま道を行くより山を突っ切ったほうが早いんじゃないか?なにより人に会わなくて済むし、一石二鳥だ。
完璧(?)な計画ににんまりほくそ笑むと、高耶は道を逸れ、脇の田んぼのあぜ道を辿って、そのまま山の裾へと分け入った。

そしてそのまま、半日以上もさ迷うことになったのである。


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怒れるライオン・・・ただし、仔(笑)
子どもの行動力を舐めてはいけません。キテレツな理屈も(自戒)






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