直江に出逢ってからのことは、少し朦朧としている。 気が緩んで泣き出して、宥められる優しい手にまた安心して涙が止まらなくて。 さりげなく訊かれるまま、高耶は直江に自分の素性やこれまでの経緯やずっと抱えていた鬱屈をあらいざらいぶちまけたのだと思う。 なぜなら此処で記憶は飛んで、突然おばあちゃんの家の前にスキップするからだ。直江が連れてきてくれたのだ。 おばあちゃんは家の前に仁王立ちに立っていた。 悪いことをした自覚はあったから、おんぶされていた背中から下り押し出されるようにして前に出ると、俯いたまま、ごめんなさいと呟いた。 「あまり叱らないでやってください。道に迷ってずいぶん心細い思いをしたようですから」 頭の上からそうとりなしてくれる直江の声がした。それに応えるおばあちゃんの声も聞こえた。 「本当に坊ちゃんにまでご迷惑を掛けて……」 え? 恐縮はしているけれどまるで昔からの知り合いみたいな口調だった。 確かめたくて、おずおずと顔を上げる。と、それを待ち構えていたようにむんずと両肩掴まれ引き寄せられた。すぐ目の前におばあちゃんの顔があった。 「……ほんとに考えなしなんだから!ひとがどれだけ心配したか、解ってんのかい!」 まったくその通りだったから、高耶はもう一度、ごめんなさいと謝った。 おばあちゃんは手荒くぎゅっと抱きしめてくれて、 そうして高耶の家出騒ぎはなかったことになった。 『ほんとにぶきっちょなんだから、この子は。言いたいことはさっさと口にするもんだよ。でなきゃ伝わるものも伝わらないじゃないか』 後々になって、よくおばあちゃんが言っていた。 『高耶さんは、まるでかんしゃく玉みたいな人ですね。とっても元気で予測がつかない』 直江も微笑みながらこんなことを言ったことがあった。 そして今、 「高耶ってさー、ほんと不器用だよねー」 「おまえ、もう少し要領よく立ち回れない?」 気の置けない友人たちから、ほとほと呆れたように言われることがある。 要するに、みんな、口下手でいろいろ溜め込んでしまう高耶の性格のことを心配してくれているのだろうけど。 持って生まれた性質と、我慢することの多かった育ちをしたのだから仕方ないじゃないかと、こっそり反論したくなる。 家族の危機のしわ寄せが高耶の暮らしを歪ませて、一年間も一人だけ田舎にやられることになったのは、その最たるものだ。 けれど、それもけっこう楽しかったと強がりでなく言えるのは、間違いなく直江が傍に居てくれたからだ。 四季折々、直江と過ごす日々が楽しくて楽しくて。 あっという間の一年が過ぎ、ようやく両親の元へ帰宅が決まったときは、逆に帰りたくないと駄々を捏ねて泣き喚いた。 手を焼いた祖母が引導役に頼ったのもやっぱり直江で―――、結局高耶は直江にうまく説得される形で親元に戻った。 直江のことは一日だって忘れないと、固く心に決めていたのに。 子どもにとっての十年間は今まで生きた人生以上の年月なわけで。 しかも成長するにつれて、世界はどんどん広がっていく。 きれいな石や鳥の羽根、つややかな木の実。夢中で集めた宝物が箱にしまわれたままいつか失われてしまうように。 拠り所だった思い出は、やがて同年代の友人たちとの付き合いに取って代わった。 その心変わりを仕方ないことと思える程度には、オトナになったのだと思う。そして改めて思うのだ。 あの時も充分大人だった直江は、いったいどんな気持ちであんなことを口にしたのだろうと。 あの約束は、ただむずかる子どもをあやす方便だったのか。それとも、一縷でも本気で自分を信じていてくれるのだろうか。 もしかしたら、直江本人も忘れていて今さらのこのこ出向いたら驚かれるかもしれない。 でも、ひとつはっきりしてるのは、あの時ああして直江が背中を押してくれなかったら、自分はまた同じ失敗を繰り返しただろうということだ。 親の身勝手に拗ねて気持ちをこじらせたまま長い時間を無駄にしただろうと思う。一度ならず二度も高耶を導いてくれた、直江はやっぱり高耶にとって恩人だ。 逢いに行きたい。 迷惑になってでももう一度逢いたい。 逡巡の末、そう思いきわめて、御守袋を開けてみたのが夏の初め。 中には小さく畳まれた薄葉紙。 秘密の地図だと聞いていたそれには、たったひと言、「イラズノモリ」と書かれていた。 |