夏休み
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開け放した戸口から、風が通る。
閉め切った留守中もたいして熱気がこもらないのは、ここの家屋が広いせいだろうか、それとも土地柄のせいだろうか。
買い物袋を置くやいなや、まず、高耶は家中の窓を開けて風を入れた。
一回りして冷蔵庫に生鮮品を仕舞う頃には生きた風が頬を撫でる。 台所は北側にあるから、吹き抜ける風も余計に涼しい。ついでに冷えた麦茶を取り出して一息に飲み干す。 すうっと、汗の引く心地がした。

極楽だな、と、思う。
そう思える自分が今となっては少し可笑しい。 この家にエアコンがないことを直前に知って、内心かなりびびった経緯があるからだ。

エアコン云々はまったくの杞憂ですんだ。
真夏日が続く好天には違いないが昼はこうして自然の風が入るし、日が落ちれば気温も下がって過ごしやすい。
少々不便ではあるけれど、自然に満ちたこんな生活も捨てたもんじゃないと悦に入りかけたその矢先、 他ならぬその自然にしっぺ返しを喰らった。 熱帯夜から開放されて熟睡していたある日の夜明け前、突然の爆音に叩き起こされたのだ。
近くに雷でも落ちたんじゃないかと思うほどの大音量の、ヒグラシの斉唱だった。
それまでの高耶の常識ではヒグラシは夕方に鳴くものだった。
夕暮れの街にカナカナ……とどこか寂しげに響いていたのとは、とても同じ種だとは思えない。 山中の蝉が我も我もと競うがごとくのカナカナカナカナの大音声は、高く低く緩急をつけながらたっぷり三十分は続いたろうか。 波が引くように最後の一音が消える頃には、あたりはすっかり明るくなって夏の一日が始まろうとしていた。
そんな朝が三日四日と過ぎるうちに高耶の方が慣れてしまってさほど気にならなくなったのは、我ながらたいした適応力だと思う。
開け放した縁側から時折室内に飛び込んでくるハチやガガンボの類にも動じなくなった。
一度などオニヤンマが入ってきて、間近で見るその姿に目を瞠ったことがある。
翡翠色の大きな複眼、黒と黄色が鮮やかな腹。開けた外から急に薄暗い室内に入り込んだというのに慌てる様子もなく、 繊細な網目模様の羽をほとんど動かさず、高耶の目線の高さでゆったりと座敷を滑空していく。
まさしく王者の風格を漂わせたその様を息を呑んで見守るうちに、来た時同様、トンボは悠然と縁側から外へと滑り出て行った。 明るい戸外に出た瞬間、わずかに高度を上げたのが変化らしい変化だった。
迷い込んだというよりはまるでヤマのヌシが見回りにでも来たようだったと、後で思った。


今年の夏はいつもと少し違う。自分でもそう思う。
朝は早めに起きだし、倉での作業に精を出し、午後は母屋で昼寝をして日盛りをやり過ごし涼しくなるのを待つ――― 気がついたらそんな生活になっていた。
シェスタみたいですねえと直江は微笑い、でも早起きなのが高耶さんらしいと、さらに微笑む。
そんな洒落たもんじゃねえ少しでも涼しいうちに動こうとするといやでもこうなるんだよとぶつぶつ反論はするものの、 にこにこ笑う直江を前にしては、なんだか我を通すのも馬鹿馬鹿しくなってくる。
スペイン繋がりの連想か、夕飯にはパエリアなんか如何でしょう?と、そんな提案をされてはなおさらだ。
かくしてその日の食卓はスーパーで材料を調達した魚介のパエリアやご近所から譲り受けた新鮮な夏野菜のマリネ、オムレツ が並ぶ賑やかなものになる。
ただでさえ忙しい身なのだから休日は自宅でゆっくり休養すればいいものを、 この男は律義に車を駆って毎週末に訊ねてくるのだ。 そして何をするでもなくただ高耶の傍らにいて、とりとめのない話をしたり片付け仕事を手伝ったり一緒に座敷で転寝をしたりする。
つまらなくないだろうか?退屈なんじゃないかと気を揉む高耶に、それだけで充分な英気に成り得るのだと言い切って。
そんなもんか?と高耶が呟き、そんなもんですと直江がいなす。
そうした問答を何度か繰り返して、やがて高耶も納得した。
とりたてて特別ではなく何をするわけもないこの時間が、とびきりの贅沢な過ごし方なのだと。 他ならぬ高耶自身も、直江と過ごす週末を楽しみに待つようになっていったから。
いつもの夏と違うのは、きっと環境が変わったせいだけではないのだ。



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いや別に直江がいなくても高耶さんは楽しく暮してると思うんだけど(殴)
でも二人でいたほうが少なくとも会話は盛り上がるだろう。うん






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