老人―――その名を齋藤理吉翁と名乗った―――の話によると、
高耶は此処の桜の樹の精霊として大切に祀られてきた存在だったという。 一族の先祖が此処に住みついたのがざっと四百年前、それ以前からすでに桜樹はこの地に在って、 威風堂々辺りを睥睨するようにそびえていたのだと。 開墾が進み、次第に暮らしが豊かになり、屋敷が建ち倉が建て増される。 その繁栄と安寧を象徴するのがこの桜樹、人々は自然に樹を土地の氏神の依り代として崇め奉るようになっていったと。 やがて一族が財を成し押しも押されぬ地方の豪族として一目置かれ始めた頃から、不可思議な体験をする者が現れはじめた。 桜の精と思しき美しい人影を垣間視た者が数人、気配だけなら、もっと。 神に等しい存在が現身をとられるのは何かの予兆、決しておろそかに扱かってはならぬと時の当主は判断し、 勘働きの鋭い者の中から一人を選んで守人に任じた。 ―――時代は変わる。 激動の流れに委ねるように一族が利便のいい地に拠点を移して久しい今も、代々の桜守だけはこの鄙びた土地に留まり、 本家の庇護の下、桜樹ともにひっそりと生きていたのだと。 「それも儂の代で終わり申した。……肝心の主殿がこうして人の身に生まれ落ちましたからな。 もっとも生身のあなたさまにお目にかかれるこの方がずっと具合がいいに決まっておりますが」 そう語る理吉翁の表情は本当に嬉しそうで。 高耶の存在に何の疑いも抱いていない。 が、高耶がそんな御伽じみた話をすぐに鵜呑みにできるわけもなく。恐る恐ると口を挟んだ。 「……その主殿っていうの止めにしませんか?なんか落ち着かなくて。それにオレにはれっきとした高耶って名前があるわけで……」 「なんのなんの。主殿は主殿ですからの。儂はそうお呼びさせていただきますぞ。あなたさまを人の名でお呼びする特権は甥っ子に譲りますわい」 精一杯の提案はそうあっさりといなされてしまったが、今度はまた翁の放った別の言葉が引っかかった。 「甥っ子って、直江のこと?」 翁はにこにこと首肯した。 「どうですかな?あれはお役に立っていますかな?」 思いがけない物言いに高耶はぶんぶんと首を振る。 「役に立っているなんてとんでもない!……あ、いやそんな役立たずの意味じゃなくて!むしろ逆で!! 直江にはお世話になりっぱなしというか、頼りっぱなしというか、 至れり尽くせりの気配りでなんかこっちが申し訳なくなるぐらいで………」 突然直江のことに触れられて動転し、しどろもどろに言葉を紡ぐ間にどんどん気恥ずかしくなってくる。 「……その、すごく助かっています」 と、最後は蚊の鳴くような声で呟いた。 「それは重畳」 可愛くてたまらない孫の相手でもするように、翁の返事はどこまでも軽やかで楽しげで。 「さて、せっかくの心尽くしのお供えじゃ。久しぶりのキミさんのだんご、お相伴させていただいてよろしいか?」 そう爛漫にのたまった。 |