本来なら見知らぬ他人同士のはず。 でもそんな高耶と藤澤を、それぞれの大切な人が繋いでくれた。 亡き妻を未だに教え子が慕っているという事実は、藤澤を甚く感動させて、 その年の夏休みには、美弥は念願のお墓参りをするためにこの街にやってきた。 もちろん高耶も付き添った。 故人の想い出とともに半日あまりを一緒に過ごした三人と一匹は、 まるで昔からの知り合いみたいに打ち解けて、それが今回の間借りに繋がったのだった。 此処での共同生活はまだ二月足らずではあるけれど、この決断は三方よしの大成功だったんじゃないかと密かに高耶は思っている。 実際高耶が越してくるのと入れ替わりのように出張で家を空けることが多くなった藤澤は、 愛犬を託せる人物が留守を預かってくれることに感謝したし、 なにより高耶が当たり前のようにこなしていた掃除やゴミ出しといった些細な家事にえらく感激してくれた。 ゴミ袋の溜まっていない家に帰りすぐに風呂を使えてしかもその後冷えたビールが出てくるなんて、なんてしあわせなんだっ!との台詞には、 なにを大袈裟なと笑って聞き流してしたが、 やもめ暮らしの長かった藤澤の本音であったらしい。 高耶だってけれんなく褒められて、こそばゆくはあったけど悪い気はしなかった。 そうして少しずつ細々した家の雑事をも請け負うようになった高耶の心配りに、藤澤はさりげない『食』の充実で応えてくれて、 それがまた高耶の励みになった。 そして高耶の存在を一番喜んだのが、他ならぬバーナムかもしれない。 規則正しい食事と充分な散歩と快適な空間、遊び相手。 そのすべてが高耶と結びついていると悟った『彼』は、すぐに高耶に懐き、心配性の飼い主を安堵させたから。 「本当に君が住んでくれてよかった」 しみじみと藤澤が言う。 何度目かの出張帰り、高耶と愛犬に出迎えられ、ゆったりとリビングで寛ぎながら。 「バーナムは落ち着いてるし、何より話し相手がいるって、素敵だね」 留守中のバーナムの様子や天気の話、見知らぬ土地のコネタ、ちょっとした仕事の愚痴。 そんなとりとめのない会話が続いて、やがてぽっかり出来たその合間に。 高耶はちょうど口いっぱいに土産の焼き菓子を頬張ったところだったから、 応える代わりに目線だけをあげて藤澤を窺う。 その仕種がまたバーナムにそっくりで、つい藤澤の口元が綻んだ。 高耶ではなく手にしたグラスに視線を移し、それを弄びながら、言葉を選ぶように話し掛ける。 「僕にとってバーナムは大切な家族で人にするように話しかけたりするけれど、やっぱり会話にはならないから。 僕が一方的に喋ってお終いだ。今はそれが当たり前で特に寂しいとは思わなかったけど。 こんな風に高耶くんと話していると、なんだか加奈子のいた頃に時間が巻き戻った気がするよ…… こんなことを言っても君を困らせるだけかもしれないけど、酔っ払いの繰言だと思って流してくれないか。 本当に感謝してる。…ありがとう」 そう言って、グラスの中身を一気に呷る。その直後に吐いた長い息は、いったいどんな想いを表しているのだろう。 この人はまだ亡くなった奥さんを愛しているんだなと、そう思った。 奥さんと息子代わりのバーナムと暮した想い出の詰まったこの家で、 たぶん、ずっとその想い出をバーナムと分かち合いながら過ごしていたのだろうか。 その領域に他人の自分はむやみに立ち入ることは出来ないけれど。 でも、その気持ちを慮って、日々の暮らしを快適に整えることはできる。 実際、そのために此処にいるわけだし、やれることをやるだけだと、 ぐるりと回って着地する頃には、高耶はふたつめのタルトも食べ終えていて。 潮時とばかりに立ち上がった。 「ご馳走さまでした。このお菓子、とっても美味しかったです。残りは冷蔵庫に入れておいていいですか?」 「あ、ああ、お願いするよ。あとは高耶くんが食べてくれると助かる」 夢から醒めたような表情で藤澤は高耶に応え、柔和な笑みを浮かべた。 「さて、そろそろ寝るとするかな…。おやすみ、高耶くん」 「おやすみなさい」 「バーナム!行くか?」 飼い主の一声に、それまでリビングの片隅でまどろんでいたバーナムは、ぱっと立ち上がって藤澤の後に従った。 寂しがりやの『彼』は、夜はリビングにある自分のベッドでなく飼い主と一緒の部屋でやすむのだ。 昨夜までその代役を務めていた高耶は、藤澤が戻るや否やあっさりと乗り換えられたわけだが、 バーナムに悪びれた様子はない。 一心に藤澤を見上げ、嬉しそうに尻尾を振ってついていく後ろ姿を見送って、それが当然と思いながらもいささかフクザツなものが残る高耶だった。 |