残月楼夜話

―鞘当 3―





躊躇いがちにノックの音がして家令が顔を覗かせた。彼が口を開くより先に、思いのほか時間を過ごしていたことに気づいた令室がはっと腰を浮かせる。
強引に見合い話を承諾させるだけのつもりでいたから、この後にも別の来客の予定をいれてあったのだ。
高耶にはこのうえなく優しい笑顔で中座の非礼を詫び、直江に小一時間ほど場をもたせるように告げて部屋をでる。
女主人のいなくなった客間にふたりきりにされて、高耶と直江はどちらからともなく顔を見合わせた。

「奥様、すごくお忙しいんだね」
「兄の分まで内向きの根回しを引き受けてますからね。まあ、本人が好きでやっていることですし」
タイを緩めながら苦笑交じりに言うのを不思議そうに高耶が見上げる。
「でも、悪い方にはみえないけど……」
「確かに悪い人ではないですけどね」
それ以上は言わぬが花というものだ。記憶にある昔のあれこれを振り払うように明るい声で直江が言った。
「ところでどうしましょう。義姉の用事が済む間少し散歩でもしましょうか?裏庭に犬を飼っているんですが」
「うん!みたい!」
直江の誘いに高耶の表情が輝いた。
「あ、でも、残してたら申し訳ないよね。ちょっと待ってて」
そう言って焼き菓子の皿に手を伸ばす。 急いではいてもいやしくは見えない手つきで次々と平らげて、最後に残ったのは華奢なスプーンの添えられたゼリーだった。
「どうしたの?それも美味しかったですよ?」
なぜか眉を寄せて考え込む高耶に直江が声を掛けた。
「うん……。すごく美味しそうだけど、これ、すごく食べにくそう……」
言われて得心した。
普段は畳で生活している高耶にとって洋間はあまり馴染みがない。 身体が沈むふかふかのソファに座るのは勝手が違って収まりが悪いのだ。そのうえ 口当りのいいゼリー菓子は、少しの振動にもふるふる揺れてスプーンから落ちそうになるから、テーブルに置かれた器から口まで運ぶのが難しい。
皿ごと持ち上げて直接かき込むなど論外なのだろう、 十六夜に作法を躾られている高耶が躊躇うのも無理はなかった。
しばらく直江も考えて、やがて名案が閃いた。
「高耶さん、私の膝にいらっしゃい」
「え…でも……」
尻込みするのを半ば強引に膝の上に乗せた。
「ね。柔いソファの上より姿勢が保ちやすいでしょう」
「……うん、まあ」
気まずそうにしているものの高耶にとって直江の膝は慣れた位置だ。しぶしぶ頷くのに、はいとばかりにゼリーの皿を手渡した。
「じゃ、これ、両手でしっかり持っていてくださいね」
「?」
意味が解らず持たされた皿から視線をあげた高耶を捉えて、満面の笑みでスプーンを手にした直江が言った。
「はい。あーん」
「!!!」
目を白黒させながら高耶が口を開ける。
こんな年齢になって赤ちゃんみたいに食べさせてもらうのは抵抗があるけれど、なにしろ口元まで運ばれたスプーンの上には今にも零れ落ちそうにぷるぷるしているゼリーがのっているから、 食べないわけにはいかないのだ。

そうして乳母日傘おんばひがさの給仕を暫し。
「もうっ!直江の意地悪っ!」
おかんむりの高耶をよそに、どうにも笑いの止まらない直江だった。

しばらく続いていた鬱屈はこうして晴れ上がったのである。






戻る/続く






というわけで、直江逆襲(?)編
ようやく膝抱っこシーンがかけました。こすげさんちへどうぞですm(__)m








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