長らくの無沙汰の末の訪いだというのに、男が気にして真っ先に問いかけたのは、姿の見当たらない禿のことだった。 「お使いに遣った?」 男の語尾が僅かに跳ねる。 「ええ。江田のご隠居さまの処に。教本がどうしても必要だから届けるようにと仰って」 隠す必要もないことと、十六夜は素直に高耶の行き先を告げる。 「一人で行かせたのか?」 眉顰めて男が訊いた。暗に責める口調でもって。 「いえ、卯吉と一緒に」 屈強な体格をした此処の若衆の名前を出されて、ほんの少し愁眉が開いた。が、すぐに呆れた声音に戻る。 「だったら、なにもあの子を遣らなくても――」 若衆一人の使いだけで充分間に合ったろうにと不満げに言葉を切るのに頓着せず、十六夜はさらりと付け加える。 「だって、ご隠居さまはあの子がお気に入りなんですもの」 「!」 絶句した男の顔こそが見ものだった。 滅多に心中を覗かせない小憎らしい男だが、こと高耶が係われば話は別だ。 憮然とした物言いといい拗ねた態度といい、 あまりに解りやすい反応が面白くてわざと小出しに煽っていた十六夜は、ついにたまりかねてころころと笑った。 「大丈夫。あなたの考えているようなことにはなりませんよ。江田さまは七十過ぎのご老体。 あの子をどうこうしようなんて疚しい下心はこれっぽっちもお持ちじゃありませんからどうぞご心配なく」 「………」 からかわれていたと知って向けられる、男の恨めしげな視線を十六夜は余裕でかわして、すこし柳眉をひそめてみせた。 「……ただねえ、正直ちょっと困っているの。 贔屓にしてくださるのはありがたいんだけど、あの子を養女に引き取ってゆくゆくは自分の眼鏡に適った男と娶わせたいなんて本気で仰るんですもの。 女将が手放さないのなら名義だけの旦那でもかまわない、披露目の負担はいっさいご自分が引き受けるって。 ……もちろん丁重にご辞退申し上げましたけど、それにしても剛毅なことよねえ」 と、感嘆の溜め息を洩らして見せて、ちらりと男を流し見る。その男はもちろん壮絶な仏頂面だ。 「披露目もなにもあの子は男の子だぞ?そのご隠居はいったい何処に目を付けているんだ?」 唸るような言葉に、十六夜は、今度は心底嘆息した。 まったく鈍いにもほどがある。 これほどあからさまな妬心を剥き出しにしているくせに、自分がどれだけあの禿に惹きつけられているのか、この男はまったく自覚がないらしいのだ。 つくづくと目の前にいる歳下の情人の端正な貌を、哀れみの視線で見遣る。 この顔立ちと年に似合わぬ気風の良さが女たちにもてはやされて、数限りない娼妓と浮名を流した経歴の持ち主だ。 が、なまじ綺麗どころとの経験が豊富な所為か、今まさに本気で恋焦がれている(としか思えない)高耶のことは、無意識に色恋沙汰の対象から外しているらしい。 どれほど愛らしかろうと男の子は男の子、ましてや年端の行かない子どもなのだからそれもまた当然なのだが。一途な恋心というものはそんな世間一般の常識に縛れるほど生易しいものではない。 (難儀なことだわね) 憎からず思うその子どもは日々成長していく。 仔犬のように真っ直ぐに慕う心を隠さないあの禿を相手に、この男はどこまで優しい庇護者の皮を被っていられるだろう? そして自分の正直な気持ちに気づくのは、果たして何時のことになるのだろうか? いずれ暴走し千々に乱れるであろう心情を思いやって、他人事ながら苦笑いの洩れる十六夜だった。 |