ゆったりと日々は流れる。 良きも悪しきも、清濁すべてを併せ呑む悠久の大河のように。 兄の尽力で高耶の素性はほどなく知れた。 彼は直江の思う以上に大家の子息だったが、痛ましいほど複雑な命運を背負わされていた。 世間からは五年も前に両親ともども亡くなったと見なされており、高耶には曾祖父にあたる現当主も彼の復籍を望まなかった。 薄情からではなく、彼の将来を思えばこそ。 老い先短い我が身が手元に引き取れば、いずれ身内での激烈な後継争そいに巻き込まれる。 せっかく拾った命を再びなくすことにもなりかねない。実際、直江の遭遇した経緯が、高耶を巡って密かに陰謀の企まれていたことを暗示している。 正嫡を二代続けて頓死させてしまったことが老いた当主をひどく衰えさせていて、ただ一人生き残った直系の高耶には、血統の存続よりも家名を離れた在野の安寧を選ばせたのだった。 そうした尊属の承諾のもと、高耶の養育は秘密裏に橘の家に委ねられた。 が、直江はあえて高耶を残月楼に置き続けた。 橘の名はすでに相手方に洩らしてしまった。 同じ年恰好の子どもを家に迎えてこれ以上の疑惑を招くわけにはいかなかった。 用心は二年ほど続いた。 彼の曾祖父が身罷り傍系の親族が正式に跡目を継いで、高耶に手駒としての利用価値がなくなるまで。 皮肉なことにすべての係累を失ってはじめて彼は自由になれたのだ。 もう女の子のふりをすることはない。彼には好きな道を選ばせてやれる。それが別離を意味するとしても。 心中複雑な思いで告げにいった。もう、禿として此処にいる必要はないと。 けれど、高耶は。 変らず、この離れで十六夜とともに暮らすことを望んだ。 高耶自身がそう明言し、十六夜も異を唱えないことにどこかで安堵する自分がいた。 もっと強い態度で大人の分別を振りかざすべきだったかもしれない。それが自分の意向なら彼は決して逆らわないのだから。 それでも。 高耶と十六夜と紡ぐ箱庭のようなあまい幻想に、もっと浸っていたかった。 このとき、高耶は九歳。数年経てばいやでも男の子に戻らざるをえないのだから、そのときまでは―――と。 周囲の情愛を一身に浴びて、すくすくと若木のように高耶は育つ。 本来の素直で伸びやかな性質と従順さとを併せもつ、理想の『少女』として耳目を集めずにはいられぬほどに。 長じるにしたがって離れにこもりがちになった本人の預り知らぬところで、幾人もの申し出が鄭重に断られた。 そんな話が耳に入るにつれて、いよいよ『そのとき』がきたのだと、直江は思った。 彼を束の間慈しんだ揺籃の淵から、別の流れへと導いてやらねばならない。 未練を断ち切る覚悟で自らも遊学を決め、彼にはサナトリウムに併設された寄宿学校への編入を勧めた。数年に渡った『少年』としての空白を埋めるために。 別れに等しい直江の言葉を、淡々と高耶は受け入れた。 もう、逢うことは叶わないと、思った。 少なくとも、自分に懐き慕ってくれた可愛らしい禿の高耶はこの世に存在しなくなる。 凛々しい青年に成長する彼によけいな負担を強いてはならないと、 想いを封印して、直江もまた淡々と馴染んだ離れを後にした。 十六夜たっての呼び出しで再び此処に足を運んだのは、数週間後。 着々と準備が整い高耶が寄宿舎へと発った日の、その宵のことだった。 |