こちらの世界は闇が薄い、と、高耶は言った。
唐突な台詞に、思わず直江は問い返す。
……それは夜が暗くないということですか?街明かりのせいで?
それもあるけど……。
それだけではないのだと、不自然に空いた間が知らせてくる。
伝える言葉を懸命に探して眉根を寄せた高耶を、だから、直江は黙したまま待つことにした。
ぽつりぽつりと紡がれる高耶の想いを受け止めるために。
やがて。
……息苦しいのだ、と、そう言った。空気が薄いみたいで、と。
昼も夜も光も人も獣も、見かけはむこうと変わらない。
でも、世界の醸す空気が、決定的に違うのだと。ここには天を支える柱、理がないと。
怪訝そうな直江の顔を、もどかしげに高耶が見上げる。
ごめんな。上手くいえなくて。
そんなことはない。どうか、焦らないであなたの言葉で聞かせてください。
理がないとは……神がいないという意味ですか?
そうかもしれない。しばらく考えて高耶はようやく呟いた。
世界を創造り、世界を律し、総てを統べる意思をそう呼ぶのなら。と。
ほら、たとえば夏の陽射しが強ければ強いほど、出来る影もくっきりと濃いだろ?
オレは影の生き物で、理から外れたものだったけど、それでも、理から外れた影の中では生きていくことを許されていたんだ。他ならぬその天によって。
それが……、こっちではまるで靄がかかっているようだ。光はあるけど、強くはない。だから、影もひどく薄くて弱々しい。
境界が曖昧になる。意識が保てない。
自我が……溶けて流れて留まっていられない。
訥々とそう話す高耶は本当に儚げで、今にも消えてしまいそうだったから、直江は堪らずに、その身体を抱きしめる。ここに存在しているぬくもりが、幻ではないことを確かめるように。
奪われまいとどこか必死の形相をしている男に、高耶はふわりと笑って見せた。
なだめるように、抱き返す。
オレなら大丈夫だから、と。
おまえのおかげだ、とも。
私の?
そう。おまえの。
狐に摘まれたような顔の男に、高耶の笑みが深くなる。
おまえが気をくれたから。
気?
うん。……ほら、これ。おまえの精気。
悪戯っぽく微笑まれ、あらぬ処を締めつけられて、慌てて直江が身じろいだ。
繋がりはまだ解いていない。引き抜こうとするのを、高耶がとめる。
まだ、駄目だ。……今抜いたら零れちまう。頼むから、もう少しだけ、このままでいて…。
うっとりと内部の異物を味わうように目を閉じた高耶の貌は、心を置き去りに快楽だけに貪欲だった以前の彼を彷彿とさせて。だからこそ、直江は不安になる。
高耶さん……。
縋るように呼ばわる声に、高耶は煙る瞳をあげた。
大丈夫……。
そう言って、背中を抱く手に力がこもる。もう、昔の自分ではないからと、言外に知らせるように。
なあ、直江。
おまえのこれにも、子種がはいっているんだろ?
は?
こっちでは、生き物総てがそうだと、自分たちの意思と行為で子を為せると、そう聞いた。
……おまえには、それは当然過ぎることだろうけど。
でも、向こうではそうじゃない。それは、天意の象徴だったんだ……。
天意?
あまりにも漠然とし、常識とかけ離れた話に、直江は途方にくれた顔で続きを促す。
子どもは天が授けるもの、生れ落ちるのは天がそれを望んだから。
だから、命があるものは、等しく天の庇護下にある。妖魔でも人間でも、
その大元だけは変らない。それが、オレたちの存在理由。たとえその生が殺し合いを生業にするような運命だとしても。
でも、その理屈がこちらでは通じないんだ。
天意の柱がここでは個々に委譲されているから。それ以上の光も闇もおまえたちには必要ない。
でも、オレたちはそうじゃないから。
天意がなければ、オレたちは存在そのものが危うくなる。
……そう、流されてきた頃のオレみたいに、と。
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