高耶の存在は、十数戸の集落内にたちまち知られることになった。 高耶にとっては初対面でも、出逢う人すべてが旧知のように話し掛けてくる。 いつのまにか高耶は、ずっと疎遠になっていたのがこの度ようやく訪ねてくれた椌木の孫だというもっともらしい素性で人の口に膾炙されていたのだ。 椌木の孫なら、身内同然。 寄り添うようにして支えあってきた集落にはそんなおおらかな空気もあって。 お年寄りが大半の世帯では、高耶のような若い力もまた引っ張りだこなのだった。 今までの野良仕事のほかにも、 病院への送り迎え、薬の受け取り。ついでの買い物。 そして、国道沿いにある産直販売所に出す野菜を運んでもらえまいかという依頼。 家の軽トラを借り受けて何かと出掛ける機会の増えた高耶を、椌木夫婦はむしろ誇らしげに送り出してくれた。 送迎や使い走り自体はさほど苦にもならなかったが、 そうして懇意になったお年寄り数人から通帳を手渡され、振り込みを頼まれたときには、やはり唖然となった。 窓口で怪しまれて受け付けてもらえないのではないかと危惧していたのだが、 もっと驚いたのは、一人何役もこなして忙しそうなその農協支所の職員までもが、おっかなびっくり手続きの代行をする高耶のことを知っていたことだった。 「椌木さんとこのお孫さんでしょ?あ、名字は違うの?仰木さん?いやあ、とにかく君がきてくれて助かった。 あそこの集落の人たちってなかなか難しくてね。こっちが幾ら規則違反だっていっても、それが役目だべっつってヒトをアゴで使うんだから」 久しぶりで耳にするような気のする若者言葉で憤然と言ってのけて、今度はにっこりと笑う。 「何にもない田舎で若いもんは出ていくばっかりだったんだけど。仰木さんみたいに戻ってくれる人がいて嬉しいです。これからもよろしく」 高耶と幾らも年の違わない齊藤と名乗ったその青年は、解らないことがあったらいつでも相談に乗るからと最後にそう締めくくって、世間話を切り上げた。 付き添う時間が長くなると、時々は、別れ際、お年寄りから小袋を押し付けられる。 待ち時間のタバコ代だ、或いは車の油代だと言って渡されるその袋の中にはたいていそれ以上の額が入っていて。 こんなつもりではないのにと当惑する高耶に、もらっておけと、またしてもからからと笑って椌木老人は言った。 高耶の親切が金目当てでないことは皆知っている。 けれど、それでも伝えきれない感謝の想いをカネやモノに託したいことはあるのだと。 そんな時はカネごとその心を受け取るのが此処の流儀だと諭されて、しぶしぶ高耶も納得した。 そしてふと思う。 それならその流儀とやらを逆手にとって自分が椌木夫婦に感謝の想いを伝えてもいいわけだ。 早速老人には特上の酒を、そして媼には軽くて暖かな絹のスカーフを見繕って用意した。 思いがけないプレゼントに、老人は頭をかきかき礼を述べるだけだけだったが、 包みをあけ目に飛び込んできた華やかな色合いに絶句した媼は、やがて感極まったように泣き出してしまった。 顔をくしゃくしゃにした泣き笑いの表情で何度も拝むように両手を合わせるその様子に、高耶の方がうろたえる。 つまりは、それほど嬶は嬉しかったのだと、媼が席を外したすきにとりなすように椌木が言って。 本当に、ありがとう、と。 そう、居ずまいを正す老人の目も心なし潤んでいた。 喜んでもらえたのは、もちろん嬉しい。 でもそれだけじゃなかった。 椌木たちのことをあれこれ考えて品物を選び吟味する買い物は、 確かに高耶にとってもわくわくする楽しい時間だった。 もしかしたら―――もしかしたら、直江もそうだったのだろうかと、 ふいに思い至って胸が疼いた。 夜食を用意してくれたから。或いは、リビングを片付けてくれたお礼に―――そんな口実で頻繁に手渡されたプレゼント。 高耶の好みを心得ていてカジュアルなデザインだったけれど、その実、かなり値の張る品々。 あの時は、よけいな金を使わせることにばかり目が向いて、満足に礼も言えなかった。 そんなつもりじゃなかったのに。またこんなもん買ってきて―――礼より先に文句が口をつく自分のことを、直江は解っているとばかりに微笑むだけだったけれど。 素直に喜びを表さなかったことを、今になって高耶は後悔した。 (ごめん。ごめんな、直江) もう、言葉で伝える術はないけれど。 でも、この感謝と謝罪の気持ちはずっと大事にしまっておくから。 おまえは、おまえに見合う女性としあわせになってほしい―――虚空に向けて語りかける。 目を瞬かせ凍てつく冬の夜空に向って。
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