―――きっかけは、道端にひとつ、ころんと転がっていた里芋だった。 当てもなく旅にでた。 問題の金に手をつける気は毛頭なく、名刺もすぐに破って捨てた。 直江と暮らした数ヶ月間、自分で稼いだバイト代はほとんど使わなかったから、 幾らかは懐に余裕がある。 傷心というほど傷ついているわけでもないけれど、このままこの街に住み続けるのも収まりが悪い。 先ずは気分転換をして、きっちり区切りをつけてから新生活を始めようと、そう思ったのだった。 そんな各停の旅の途中、ただ座っているのにも飽き飽きして、気晴らしに少し歩こうかと降りた無人駅の 見渡す限り山と畑と田んぼが広がる一本道の道端に、それはごろりと転がっていたのだ。 何事かと目を瞠った。それから、昔ばなしみたいだなと、ふと思った。 何かの目印とばかりに、その先も点々とサトイモは落ちていて。 目を凝らせばはるか前方にゆっくりと動く人影がある。 落とし主の正体は、一輪車を押す小柄な媼だった。 落としましたよと高耶が後ろから声を掛けて。 立ち止まり凝と高耶を見上げた媼は、皺くちゃの顔綻ばせてにこりと笑った。 その声が、まるで小鳥の囀りのようだと思った。 俚言がきつくて言葉の意味は半分も聞き取れなかったけれど、道々落ちた芋を集めてきた親切に恐縮し礼を述べているのだということはよく解った。 が、返そうにもその芋が転げるくらいに荷台は野菜でいっぱいだし、媼の両手ももちろん持ち手でふさがっているし。 いきおい、高耶は拾った芋をぶら下げたまま媼と同行することとなった。 当り障りのない言葉をぽつぽつ交わしながら、田舎の道をゆっくり歩く。 何処から来たとか、何処へ行くとか。 名前を聞かれて高耶と答えたとたんに、また媼が嬉しそうに声を上げる。 タカヤという音が、どうやら遠くに住む孫と同じ響きらしかった。 ほどなく到着した媼の家は、昔ながらの農家の造り。 身振りで示されて、開け放された縁側に腰を掛けた。 車を押しながら一度裏手に回った媼はすぐに高耶の元に来て、芋の入ったポリ袋を押しいただくようにして受け取った。 そしてまた、早口で何か言って消えてしまう。 たぶん待っていてくれという意味合いだろうと解釈したのだが、待てど暮らせど、媼は一向に戻ってこなかった。 かたかたと家の奥で物音はする。 ひょっとして忘れられたのだろうか、このままそっと帰ったほうがいいだろうかと逡巡していると、ひょっこり媼が顔を見せた。 ほかほかと湯気を上げる衣かつぎを山盛りにした皿を持って。 不安を募らせていたことが恥かしくなった。 採ってきたばかりの里芋を、わざわざ自分にご馳走しようとしてくれていたのだ。 勧められるまま熱々に塩や練り味噌をつけて食べるそれは、素朴で優しい味がした。 そうしてなごやかな時間を過ごしていると、今度は厳しい顔立ちのがっしりした老人がのそりと庭先にやってきた。 連れ合いらしいその老人に媼が早口でまくしたてる。 老人はぎろりと高耶に一瞥をくれると、叱りつけるような口調で媼に何か言い返し、さっさと家に上がりこんでしまった。 見知らぬ他人が家にいることで、主の不興を買ってしまったろうか。 慌てて腰を上げ辞そうとする高耶を引き止め、媼は中に入れと手招きする。 困惑しながら、おそるおそる薄暗い居間へ足を踏み入れた。 中央の座卓には老人がすでに腰を据え、一升瓶を片手に高耶を待ち構えていた。 挨拶もそこそこに猪口を持たされ、なみなみと冷酒を注がれる。 どこか愉しそうな老人の様子に、ようやく高耶は納得した。 先ほどの乱暴なやり取りは縁側などではなくきちんと座敷に通して歓待しろということだったらしい。 実際、媼がちょこまかと台所と居間を行き来するたび、座卓の上の皿数はどんどん増えていって、 日も落ちきらないというのに、すっかり酒盛りの様相を呈していたのである。 こうなってしまってはいくら遠慮してみても意味はなかった。 次第に陽気になる老人とにこにこと笑う媼の、囀りのような俚言の掛け合いを耳にしながら、高耶はとうとうそのまま酔いつぶれて 眠ってしまったのだった。
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