「ああ、思った通りだ。とてもよくお似合いですよ」 長椅子の向こうに屈みこんでいた直江が高耶に気づいてすかさず声をかける。 「?」 ほめられたことよりも彼が何をしていたのかが気になって回り込んでみれば、床に置かれているのは真鍮の盥、 張られているのはお湯なのだろう、微かに湯気が上っていた。 「直江、これ……」 この部屋にはあまりにも不釣合いで、指差したまま絶句した。 そんな高耶に笑いながら直江が言う。 「高耶さん、きっと裸足になるんじゃないかと思ったから。足湯、気持ちいいですよ。さ、そこに掛けてください。濡れないように気をつけて」 てきぱきと指示だしされて、おずおずと長椅子に腰掛け着物の裾をたくし上げる。 露わになった高耶の足に手を添えて、直江はそっとお湯に沈めた。 「っ!」 その感覚に息を呑んだ。 「……熱かった?」 心配そうな声に慌てて首を振った。 「そんなことない…けど、なんていうか……こんなとこで普通に着たままお湯遣うのがちょっと不思議な感じで驚いただけ」 「普通は浴室でバスタブに浸かりますもんね。でも、悪くはないでしょう?」 「うん」 悪くないどころか、それはかなり気持ちよかった。思わず深く呼吸をすれば、足元から立ちのぼる湯気の中にドアを開けたときと同じ香りが鮮烈に嗅ぎ取れて。 「さっきも思ったんだけど、これ、いい匂いがする…」 「精油をたらしているんです。気分がやわらいだり疲れを癒したり。いろいろな効能があるらしいですよ」 「ふーん。それって柚子湯や菖蒲湯と同じ理屈かな」 「かもしれませんね」 他愛のない会話をしながら、 湯温になじんだのを察した直江の手がゆるゆると動きはじめた。 足指を一本一本つまんではゆっくり捻り、指の間や爪の生際をほどよい力でこすりあげる。 「ち、ちょっと、直江っ!それくすぐったい」 息を乱して切れ切れに高耶が訴えた。笑いを含んで直江も応える。 「駄目ですよ。靴を履きっぱなしの生活でずっと窮屈な思いをさせていたでしょう。 たまにはこうしてよく労わってあげないと。少しだけ、我慢していて」 「そりゃそうだけど」 頭で理解したところで実際感じるこそばゆさはどうにもならないのだろう、 身を捩り反射的に逃げを打つ足の甲を片手で優しく押しとどめながら、直江はなおも足指の清拭を続けた。 「はい、ご褒美」 ようやく十本目の小指から離れた手が今度は足裏を包み込む。 「うひゃ」 土踏まずをじわりと押され揉み解される刺激に、高耶が小さく声を上げた。 今度は相当気持ちいいのだろう、時折吐息を洩らしながら、おとなしくされるままになっている。 手を止めればもの問いたげな目を返されるから、 熱湯を注ぎ足しながら、彼の気の済むまで何度も施術を繰り返した。 いつのまにか高耶は半身をねじり、両手で抱え込むようにもたれた長椅子に頭を預けている。 満足しきった猫みたいにうっとりと瞳を閉ざして。 ひょっとしたら、眠ってしまったのだろうか? それはそれで嬉しいような惜しいようなと、直江は少々複雑な笑みを浮かべて 慎重にお湯から彼の足を引き上げ、タオルで柔らかく包み込んだ。丹念に水気を拭っていると、茫洋した声が降ってきた。 「……ありがと。すっごい気持ちよかった」 振り仰げば、跪いた自分を潤んだ瞳で高耶が見つめている。 「どういたしまして」 その濡れた眼差しに、もう、平静を装う余裕はなかった。そのまま足先に口づける。 瞬間、高耶はぎゅっと目を瞑って身体を大きく震わせた。 「仕上げに、これを……」 そうして彼の足首に嵌めたのは幾連もの細い金細工の円環、繊細な瓔珞が触れ合ってしゃらしゃらと涼やかな音をたてた。 「!」 その感触に驚いて、再び高耶は目を見開く。 踊り子が身に帯びるような、華奢なつくりの黄金の飾り環。 艶めいた雰囲気を醸すこの装身具は、ただ片足に緩く引っ掛かっているだけなのになぜか鎖で繋がれた気がして。 どくりと心臓が跳ねあがった。 「直江……?」 窺うように、縋るように男を見遣れば、真っ向から熱い視線を返される。 「あなたは私のものだと、その証を刻みたい。この足環以外にも」 あなたの中にと、情欲を潜めた声で囁かれて、足先から背筋までがじんと痺れた。先ほどの心地よさとよく似ていて、けれどもっと狂おしい、憶えのある疼きが。 「……いや?」 重ねて問われて、たまらずに視線を逸らした。 「いや、じゃない。オレも、直江が欲しい……から……」 (それに、今日はおまえのものだから……) 言いさして口ごもる、その仄かに血の色の上った頬が、昼の光の中、細かな水の粒子をまとって白桃のように匂いたつ。 これ以上に愛しく美しいものなんてきっとこの世に存在しない。 その彼の心ごと我がものにする至福。 「私もですよ、高耶さん……」 そうして直江はゆっくりと高耶に覆い被さっていった。 |