恋情
-10-




温かなシャワーが滋雨のように降りそそぐ。
タイルの床に座り込んで、高耶は身じろぎもせずそのお湯に打たれている。
浴室内にはもちろん石鹸やスポンジの類が備えられていたけれど、それらは普段直江の使っているものだ。 とても触れる気にはなれなかったし、実際のところ、身体を洗うのに手を動かすことさえも億劫だった。 先ほどからの怒髪天を衝く激情が、最後の気力のひとかけらまで根こそぎ喰らい尽くしたみたいに。
だから、ぺたりと座った姿勢で頭から浴びるに任せた。
しばらくそうしていると、わざわざこすらなくてもあらかたの汚れは流れ落ちたようだった。
自分の肌を伝っていく幾筋ものお湯。
見るとはなしに眺めて、右腰のあたり、くっきり浮き上がった指の痕が目に留まった。
力いっぱい男が掴みしめて残した赤い斑痕。水流だけでは洗い流せない直江の印。
でも、これだって数日で消える。そうしたらすべて終わりだ。
高耶はふっと口の端をつりあげる。
自分はオンナじゃない。処女性を云々するつもりはないし妊娠もありえない。 実害は何もないのだから、多少の痛みは性質の悪い犬に噛まれたと思って忘れてしまおう。
元々は人を見る目のなかった自分にも負い目はあるのだから―――

いったい何処で間違ってしまったのだろう?
赤い痕から眼を逸らすように首を上げ顔面にシャワーの飛沫を受けながら、高耶はぼんやり考える。
そもそも、直江の落した紙片を拾ったことか。 それとも、その後、偶然逢ったあの男の申し出を受けてしまったことだろうか。

ありがとう、と、言ったのだ。大の大人のあの男が。ほんの若造に過ぎない自分に。
些細な親切をきちんと受け止めて衒いなく謝意を表してくれた。 それが嬉しかった。
言葉だけで充分すぎるほどだったのに、さらには食事まで相伴してしまった。
どうしても萎縮してしまうこちらの心情を察した上での気配りが嫌味でなく様になっていて。
端整な容姿と育ちの良さが忍ばれる穏やかな物腰。なによりこちらの気を逸らさない誠実な態度。
テーブル越し、小一時間相対しただけでも男の人柄が伝わってきて。
この世に天からニ物も三物も授かった人間は確かに存在するんだなと、羨む気もなく素直に感嘆したのだ。あの時は。

それからも、時々男は店にやってきた。
顔見知りになって、世間話をして。 気がつけば頼れる知人になって―――いつのまにか誰よりもプライベートを共にする友人になっていた。
自分が男の時間を削ることに、最初、高耶は難色を示した。本来ならもっと有意義にすごせるはず、かまける相手が違うんじゃないか?と。 この男に相応しい女性は他にいくらでもいそうだったから。
控えめな抗議を男は笑って一蹴した。
あなたといるのが楽しいのだ、と。あまやかす相手が欲しかったのだとも。
そう応えられてすとんと納得した。
要は、共に時間を過ごしても肩肘張らない相手、たとえあまやかしたとしても決して将来に期待をしない、そんな気楽な相手が欲しかったのかと。
それならば、確かに自分はうってつけだ。そしてなにより、高耶自身が男に対して同じ気持ちを抱いていた。
直江と過ごすことがとても楽しかったのだ。

―――それが、そもそもの独り善がりだったのだろうか。
なんの取り得もない歳下の男子学生。
性欲処理にもならない自分をあまやかしつけ上がらせることに、 いつしか直江は飽いてしまったのかもしれない。 あの暴挙は、溜まりに溜まった鬱憤晴らしだったのだろうか。

ようやく得心しかけて、高耶は無意識に首を振った。
男の態度にも言葉にも嘘はなかった。 いつだって自分同様楽しそうに笑っていた。
少なくとも、自分にはそうとしか思えなかった。
人を見る目が曇っていたといえばそれまでだけれど。
高耶の知っている直江と今夜の直江は、どうしたってひとつにならない。

いったいなんだって、あんな―――?
陥った堂々巡りに気がついて思わず高耶は苦笑する。
これではまるで男を擁護したいよう。納得のいく理由を必死になって探しているみたいだ。
今さらそんなものを知ったって、直江が力ずくで蹂躙した事実は変わらないのに。
たとえあまやかされてつけあがった馬鹿な若造だったとしても、人一倍の意地は持っている。 高耶にとって、直江のあの行為は断じて許せるものではなかった。





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回る高耶さん自己完結(おい)
それにしても回想がノロケにしか聞こえないよ……(ーー;)




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