恋情
-11-




長い沐浴を終えた高耶だが、ここでひとつ現実的な問題にぶつかった。
帰ろうにも着る服がないのだ。
シャツは手にしてきたが、Gパンはリビングで脱がされたままだった気がする。
舌打ちしながら身体に残った水気を拭い思案を巡らせたものの、 男が寝静まるのを待って自分の荷物と衣類を探すしか、手はなさそうだった。
暫くは此処で篭城だな…。
息を吐いてシャツを羽織り、バスタオルを腰に巻く。 どうせなら少しでも楽なほうがいいだろうと、遠慮なしに床にもバスタオルを広げて座り込む。 が、それもすぐに辛くなってゆっくりと身体を倒した。
固い床の感触はあっても敷いたタオルのおかげでさほど冷たい感じはしない。 そうして寝転がって下から見上げる洗面所の眺めというのがまたなかなか斬新で、 まるで小人にでもなったようだと苦笑する。
本当に。今までのことがすべて夢だったらいいのに。
我ながら詮無いことをと思いつつ、こんな時でも笑える自分に満足して目を閉じた。

眠り込む気はなかった。
でも、実際は寝入ってしまっていたらしい。
前ぶれなくひそやかなノックの音が聞こえて、びくっと高耶は覚醒した。
遠慮がちに、けれど執拗にノックは繰り返される。
ドアの向こうにいるのはあの男しかいない。
追い詰められた獣のように高耶は身を縮めた。
しっかり温まったはずの身体は、すっかり冷えてしまって あちこちに軋むような違和感がある。 心も同じ。今は怒りよりも怯えが先にたった。
ドア越し、廊下にいるであろう直江の存在が怖くてたまらなかった。
もう、係わりたくはない。どうか、さっさと行ってほしい。
必死で念じているのに、今度はノックの合間、躊躇いがちに名を呼ばれた。
「……高耶さん?其処にいらっしゃいますか?」
否も応もない。返事なんて出来るわけない。そのまま黙り込んでいると、相手はだんだん焦ってきたようだった。
「私と口を利きたくない気持ちは解ります。あなたが怒るのももっともです。いかようにでもお詫びしますから。 ……でも、そこにいらっしゃるなら一言だけでも返事くださいませんか?まさか、気分が悪くて倒れているわけじゃありませんよね? 大丈夫ですか。高耶さん!?」
切迫した囁き。悲鳴のように高まる声。その間にもノックの音はさらに大きくなっていく。
もうノックなんてものじゃなく、拳を打ち付けているとしか思えない勢いだった。 ひょっとしたら本気でドアを壊す気なのかもしれない。
それは、まずい。
このまま戸口を破られて激昂した直江と対峙するのは、今の自分にはとんでもなく分が悪い。
仕方なしに口を開いた。
「……聞こえてる。具合が悪いわけじゃないし」
とたんにガンガン叩く騒音はぴたりと止んだ。 あたりに満ちた静寂が、耳に痛いほどだった。
ややあって、すすり泣くような溜め息が聞こえた。
よかった……と、そう聞こえた気がした。
またしばらく間があいて、それから廊下の男が言った。
「……あなたの、その、衣類を持ってきました。それと、バッグも。身支度がすんだら知らせてください。タクシー、呼びますから……」
とても静かにだったけど、ことりと何かを置く気配。きっと荷物をそこに置いたのだ。
このまま自分が黙っていれば、たぶんこの男は席を外す。顔を合わせないまま此処を出て行くことが出来る。
それは願ってもないことのはずなのに。なぜか見放されたように感じる自分が解せなかった。
何もかもを諦めたように沈痛な声が、また聞こえた。
「今さら何を言うかとお思いでしょうが。本当に酷いことをしてしまった……ごめんなさい」
本当に今さらだ。ドア越しの謝罪なんかですむと思ってるんだろうか。直接怒鳴りつけなきゃ気がすまない。
いざるようにしてドアに近づき、やっとのことで手を伸ばし、鍵を外す。 たったこれだけのことをするのに、脳天に突き抜けるような痛みが走って、思わずうめいた。
「……高耶さん?」
おそるおそる直江が声を掛けてくる。
返事どころじゃない、こっちは息を整えるだけで精一杯だ。
両手を突っ張ってなんとか上体を支えている高耶の前で、少しずつドアが押されて開いていく。 廊下側の直江も膝をついて屈みこんでいたから、ふたり、真正面から目があった。





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……元の木阿弥 (ーー;)
いや使い方違うだろ?とは思うんだけど、気分的にはこんな感じ




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