間近で見る直江の顔はずいぶんと憔悴していた。 高耶の視線を痛いみたいに受け止めて、それから、すみません、と、ひれ伏すように頭を下げた。 初めて逢ったときから好きだったのだ、と、言った。 偶然に再会できて飛び上がるほど嬉しかった。親しい友人になれて幸せだった、と。 でも、どうあっても自分が恋愛の対象にならないことを思い知らされ、 まだ存在もしない恋人に嫉妬し逆上して、一番大切な人を手に掛けてしまった。 高耶に強いた苦痛も屈辱も解っていて、それでも己を止められなかった、と、直江は蹲ったまま呻くがごとく口にした。 後に続くのは、謝罪と悔恨の言葉だけ。 いつもの余裕も先ほどまでの猛々しさもない、別人のように打ちひしがれたその様子に、 高耶は声も出ない。 長い沈黙を糾弾と受け取ったのだろう。 やがて直江は静かに顔を上げた。 屠殺場にひかれる家畜のよう、光をなくしすべてを諦めてしまったガラス玉のような瞳が真っ直ぐに高耶を見る。 「……あなたの尊厳を踏みにじる真似をした。許してくれなんて言えない。償えるなら何だってしますが、あなたはきっとそれすらも受け取らない。 唯一私ができるのは、あなたの前に二度と姿を見せないことだ……。そう思っていたんです。 でも、最後にドアを開けてくれて嬉しかった。ありがとう……。さよなら。高耶さん」 そう言って、直江はまた深々と頭を垂れる。 高耶からの訣別を覚悟して。 一方の高耶も、黙って直江を見下ろしていた。 満足に座れずに脚を流す自分よりも更に低く小さく蹲る男の姿を。 男に言われるまでもない。許すつもりはなかった。 自分の方からきっぱり切り捨てるつもりでいた。 それなのに、無体を働いたこの男は高耶の言い分をあっさり先取りしてしまうし、 おまけにこれ以上ないぐらいに萎れているし。 これじゃどっちが悪者なのかわかりゃしない。振り上げた拳のやり場に困るじゃないか。バカヤロー。 心の中で一頻り毒づくうちに、なぜだか目頭が熱くなってきた。 あれ? あれあれ? 見る間に涙が頬を伝って高耶を慌てさせる。 散々辛くて怖くて悔しい思いをした。けれど、そのときは出なかった涙がなぜ今頃になって流れるのだろう。 歪んだ視界の真ん中に、直江がぼやけて映っている。 ああ、そうか。こいつのせいだ。 ぱちぱちと瞼を瞬かせながら高耶は考える。 裏切られて哀しかった。 男の豹変ぶりを目の当たりにし己の拠所が一気にひっくり返された気がした。 直江ごと切り捨てなければ自分自身さえ信じられなくなりそうだった。 それなのに、今さらこんな告白聞かされて。 驚くより呆れるより先に、 共に過ごした日々の優しさが嘘ではなかったことにほっとしている自分がいる。 乱暴された痛みより、思い出ごと直江を失うことのほうが辛かったなんて。 こんなの、絶対、理不尽だ。全部、こいつが悪い。 八つ当たりだと解っている。でも、溢れる涙は止まらなかった。 「おまえ…、ずるい」 押し殺した声が聞こえて直江ははっと顔を上げる。 直江を凝と見下ろしながら高耶が泣いていた。 目があっても視線を逸らさず、濡れた頬を拭うこともせず、身も世もなく ただ子どものようにぽろぽろと涙を零していた。 まだ殴られる方がましだった。 誰よりプライドの高い彼が初めて見せた姿に、今度は直江が言葉をなくす。 「こんな、今さら……おまえ、すっげー、ずるい……」 切れ切れに詰りながら高耶がしゃくりあげる。 肩を震わせている彼をすぐにでも抱きしめて慰めたかった。でももう自分には彼に触れる資格はない。 その場に石のように固まって煩悶する直江に向って、高耶はさらに言葉を重ねた。 「……おまえの所為で、身体中、あちこち痛くてたまんねー。……だから、しばらく休ませろ」 「高耶さん……」 「それと。もう二度とこんな真似、すんな。次は絶対ブン殴るかんなっ!」 泣きべそのまま噛みつくように威嚇するその視線に曝されながら、呆然と直江は頷く。 高耶が示してくれた精一杯の譲歩を、まだ俄かには信じかねて。 けれど、膝をついたままにじり寄りおずおずと広げた直江の腕を高耶は拒まなかった。 羽のように緩く囲う抱擁も。 「……全然…許したわけじゃ、ないからなっ」 嗚咽の合間の念押しに、こくこくと首を振った。 もちろん許されたのだと思い上がってはいない。それでも償う端緒は与えられたのだ。 肩口に感じる高耶の体温に涙ぐみながら、直江は、 ありがとう、ごめんなさいと、ただそれだけを繰り返していた。 |