恋情
-5-




彼だってもちろん名前も用途も知ってはいただろう。 けれど使用はおろか、現物を目にするのも初めてなのではないだろうか。
中身を察して顔を赤らめながらもすぐには視線を外せない様子を傍らで眺め、直江は確信を深めた。

「いいよ。こんなの、受け取れない!」
悲鳴じみた声を上げて、高耶が突き返す。 その手を両手で包み込みゆっくりと指を折ってまた握らせてやりながら、彼の顔を覗き込んだ。
「いいから、持っていきなさい。この頃の女の子は大胆で積極的ですからね。男として据え膳食う時の最低限の礼儀です」
「でも!」
見開かれた黒い瞳がまるで小動物のよう。必死に何かを訴えている。
「肝心な時にもたもたして女の子に恥をかかせたいの?」
真綿で締めるようにやわらかく追い詰めると、高耶は、もどかしげに頭を振った。
真意の伝わらないことに苛立っている。 元々論旨が掛け違っているのだ。会話が成り立つはずもないし、言い分を聞く気もさらさらない。 冷静に考える隙を与えず、こちらの理屈を強引に押し通して彼を絡め取るだけだ――― そんな小昏い思いを抱きながら、口調だけはとびきり優しく語りかけた。
「それとも、恥をかきたくないのはあなたの方?経験がないから逃げ腰になるんですか?」
「!」
反射的に高耶が睨む。
けれどその瞳の中には、怒りの他に怯えや羞恥といった感情が様々に見え隠れしているから、直江は余裕を持ってその視線を受け止め、逆に にやりと笑い返した。
「自信がないなら、あらかじめ練習しておけばいい。喜んでお教えしますよ。あなたが嫌じゃなければね……」
「……!っ」
しばらく言葉を反芻していた高耶が不意に息を呑んで、ぱっと視線を泳がせた。
それでは彼は理解したのだ。こちらの意図するところを。

静かに彼の髪に触れ後頭部に手を添えてそっと彼の唇に触れた。
嫌ならばいつでも振り払えるようゆったりと含みを持たせたその仕草を、とうとう彼は拒まなかった。

「……なん…で?」
触れるだけのままごとじみた口づけからようやく開放された時、整わぬ息で、高耶は切れ切れに問い掛けた。
「男同士なのに。なんで、こんな…」
「キスが出来るかって?」
「気持ち悪くないのかよ?こんなことして」
触れ合う感触に頬を上気させてるくせに怒ったように投げつける。 男は恋愛の対象外なのだと、どこまでも健全な彼の思考が透けて見える言葉を。
やはり彼と軌跡が交わることはない。無理やりにでも自分がそれを変えなければ。
直江は昏く微笑んで高耶の頬をそっと撫でた。
「教えてあげるって言ったでしょう?一昔前まではね、こういった閨の作法は年上の従兄や叔父たちから手ほどきされたものだそうですよ。 男の沽券に係わる一大事ですから。極端な話、甥っ子を馴染みの女郎屋に連れ込んで自ら筆おろしの敵娼をあてがうこともあったとか。 もちろん男が女の扱いを知るにはそれが一番手っ取り早いんですが、 でも、高耶さんは、そういうの、嫌でしょう?」
直江の口から吐かれる際どい単語の数々に目を白黒させていた高耶が、話を振られてばね仕掛けのように頷き返す。 それが周到に張られた伏線だとも気づかずに。
こちらの思惑通りに飛び込んでくる彼に、どうにも笑いが止まらない。精一杯真面目な表情を取り繕いさもありなんと頷いて彼の耳元に囁いた。
「だからね、最初の取っ掛かりだけ私が教えてあげる。一度でもなぞっておけばいざという時に慌てなくてすみますから。 ……ね?」

意に添わない二択から答えを選ぶ必要なんかなかったのに。こんな茶番には付き合いきれないとそのまま席を蹴ってもよかったのに。
可哀想に、まだ躊躇いを残しながらこくんとひとつ頷いて、 そうして彼はこの手の中に落ちた。




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飛んで火に入る高耶さん(殴)




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