天音
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守護聖獣の庇護のもと栄華を誇った帝国が分裂してすでに久しい。
都では名ばかりの帝が帝位を継ぎ、側近たちが傀儡の施政を執り仕切っている。 その重臣に取り入ろうとする野心ある地方領主の鬩ぎ合いもまた熾烈な様相を呈していた。

中央から地方へ、きな臭い噂は次々聞こえてくる。世間と隔絶された別邸で暮す高耶の耳にも。
要人の誰某が暗殺されたとか、逆に刺客が腹心に返り討ちにあったとか―――、帝が密かに復権を企てているとか。
けれど、それらはすべて見たこともない遠い都での出来事。本に書かれた絵空事と同じだ。
つかの間自分を暖めてくれたあの男も、きっと。

そうして何も変わることなく、淡々と月日だけが流れていった。


その夜久しぶりに別邸を訪れた北条の当主は、いつものように高耶の琵琶を聴こうと私室に呼び寄せたところだった。
「直江殿のことだが―――」
「え?」
前触れなく話を振られて、思わず眼が泳いだ。
戸惑うように揺れる瞳に、北条が困ったヤツだと言わんばかりに口端をあげる。
「なんだ、忘れてしまったか?もう一年近く前になるか、此処に数日滞在した御仁だ。おまえもずいぶんと懐いたように聞いていたが?」
手にした酒盃を弄びながら高耶の方を覗き込む。からかうような口調で、けれど少しも笑っていない眼で。
「そんなことは―――」
小さく呟いて顔を伏せた。それ以上は探る視線に耐えられなかった。
そんなことは―――ない。そう続くはずであったろう言葉は、あの男を忘れていないということか、或いは親しかったわけではないという言い訳か。
獲物をいたぶる猫のような薄笑いを浮かべた北条は、高耶の動揺には気づかぬふりで、厳粛な事実を伝えるべく重々しく口を開いた。
「その直江殿だが、亡くなったよ。あの御仁の腕前ならばと公爵の護衛に推挙したのだが。 微行中、襲ってきた暴漢から主を守って刺されたそうだ。直江殿もその暴漢も落命したが、公爵ご本人も重傷を負われたらしい。 予断を許さない状態だとか……。残念だよ。とても。彼は任務を全うした暁には報酬におまえを望んでいたのだが。彼の気持ちは知っていたかね?」
「いえ…」
「では、彼の一方的な思い込みだったのだろう。おまえの琵琶は本当に素晴らしいから、血迷うのも無理はない」
やりきれないというように緩く頭を振って北条は話を切り上げる。
「……手向けに一曲弾いてくれんか。それで彼も本望だろう。それから」
唐突に彼は話題を変えた。メニュウのついで、追加のワインを頼むみたいに。
「近々、大事な客人をここにお招きするかもしれん。くれぐれも粗相のないようによろしく頼む」
「はい、兄上。……それではご所望の曲を。…ノギのバラードではいかが?」
「ああ」

美しくもの哀しい旋律が響く。かたちばかりの悼みのために。
最後の一音が宙に消えて、沈黙が戻った。

「……おまえもショックだったろう。今日はもう下がって休みなさい。ゆっくりと眠ることだ」
「はい……」
従順に立ち上がって一礼し去ろうとした背中に、北条が声を掛けた。
「おまえには感謝している。ありがとう。高耶」
振り返った顔に浮かぶのは、儚いような透明な笑み。
「兄上のお役に立てれば、オレはそれで嬉しいです。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」

静かに閉ざされた扉に向かって、北条の当主はもう一度呟いた。
「本当に感謝してるよ。あの卑しい女の子どもが、血の繋がりがあるというだけで決して裏切らない有能な手駒に育ってくれたのだからな。手懐けた甲斐があったというものだ」
歳の離れた異母弟に軽く杯を掲げて、一気に呷る。満足げな笑みを浮かべて。




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冷血で腹黒い兄ちゃんといったらやっぱこの人しかいないよねえ、というわけで
直江さんは北条さんちにお呼ばれしてたんです(おい)
思いっきり腹黒くしたいんですが。そこまで書ききれるかな〜。










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