数年が過ぎた。 その数年の間に北条は着々と己の地歩を固めて、執政の一角に食い込むまでになった。 高耶もまた少年から青年へと成長した。ほっそりとしなやかな体格はそのまま上背が少し伸び、幼さの抜けた顔立ちはますます臈たけて美しくなった。 琵琶の音にも磨きが掛かった。 超然として遠くを見つめる眼差し。流れるような身ごなし。 言葉を忘れたように彼自身はほとんど喋ることはなく、けれど一度琵琶を奏でれば、それはどんな言葉より雄弁に聴く者の心に届く。魅了される。すべてのものが。 まるで妖精族の若君のようだと、高耶を一目見た人々は噂しあった。 そんな高耶をより活かすべく、北条は新たな舞台を設えた。 自身の住む都の屋敷に呼び寄せ、長らく地方で療養していた末の弟として正式な披露目をしたのだ。 淡雪のように儚げな白皙の美貌、気品、謎めいて寡黙な雰囲気、そしてつま弾く琵琶の旋律。 高耶は一躍、社交界の寵児になった。 誰も彼もが目の色を変えて高耶と親交を結びたがった。 己のサロンに箔をつけたい有閑夫人たちや、高耶の美貌に目をつけた少年趣味の貴族たちが。 屋敷には、連日、山のように招待状が届けられた。 北条はこの好機を最大限に利用した。 病弱だからという理由で極力出席の受諾を控えて周囲の熱狂を煽り、さらに高耶の値打ちを吊り上げた。 限られたごく少数の貴族たちだけが高耶を招く僥倖を得、噂に違わぬその人品に魅せられた。 高耶を手に入れたいと執着する何人もの人間が、長兄である北条に密かに破格の条件を申し出て ―――そうして彼らが互いに競り合うのを見定めてからおもむろに、北条は莫大な金品と引き換えに、高耶を手放すことを了承した。 「養子に……ですか?……」 本人に伝わったのはすべてが取り決められた後。それでも、北条は、一応高耶の意思を尊重する体裁をとった。柔和な表情で話を切り出す。 「ああ。何度かお招きに預かっただろう。鴫立沢のご老体だ。 おまえにひどく惚れ込まれてな。おまえを正式に養子に迎え入れゆくゆくは子爵の跡目を譲りたいと仰った。 このまま北条の家に燻っているよりは、おまえにとってもいい話だと思うが……どうだね?」 もちろん高耶に異存はない。いつものように兄の決定に従うだけだ。 「兄上がそう仰るなら」 そう返事を返すと、北条は満足そうに頷いた。含みを持たせてさらに続ける。 「子爵どのは、おまえの、その、いささか特殊な育ちも理解していらっしゃる。だから何も引け目に思うことはない。安心して孝養を尽くすのだぞ」 ああ、そうか、と、合点がいった。それでは、これからは不特定の相手するのでなくその子爵の所有になれと、そう兄は言っているのだ。そのための縁組なのだと。 血色のよい好々爺然とした老子爵の姿が頭に浮かんだ。夜会で自分を見つめる時の執拗で熱っぽい視線も。 傷ついたわけではない。傷つくような心はとっくに捨てた。けれど。 「オレが子爵家に養子に行くことで、兄上のお役には立てますか?」 此処だけは確かめておきたかった。 「もちろん」 高耶の問いに北条は力強く請合った。 「無事に勤め上げて、晴れておまえが鴫立沢の家督を継いだら……そのときはまた兄弟力をあわせてこの国を盛りたてていこうぞ」 すでに心は己の思い描く未来に飛んでいるのだろう、一瞬、慈愛の仮面が剥がれて猛々しい表情が覗いた。 他人を道具としか見做さない酷薄な専制君主たる貌が。 気づかなかったふりをして、高耶はそっと視線をはずす。 それでもこの人は自分が役に立つうちは優しいのだ。大丈夫。切り捨てられるわけではない。今までと同じことを、今度は敵地で繰り返すだけ。 そうして見事望み通りの首級を獲れば、兄はまた温かく迎え入れてくれるだろう。 自分の縋れるところは、もうこの人しかいないのだから――― 「先方では一刻も早く家風に慣れてほしいとお急ぎでな。 正式な披露目の宴はまた別に設けるとしても、身一つでかまわないから数日のうちにあちらに移れるよう支度をしておきなさい」 「……はい」 そうして会談は終わった。 この兄とふたりきりで言葉を交わしたのは、思えばこれが最後だった。 |