天音
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何事もないように日々は流れる。
正式な披露目を済ませた今、義父となった子爵は有頂天であちらこちらへ高耶を連れ出す。 ようやく手中に収めた宝珠かれを見せびらかしたくてたまらないのだ。
権勢ある子爵におもねるように周囲は高耶を誉めそやす。 財産目当ての身売りだと、影ではひそひそ囁き交わしながら。
常に人々に囲まれあからさまな好奇と蔑みの視線を浴びせられても、高耶はひとり超然としていた。 周囲で起こる全てのことはまるで分厚い硝子に隔てられて演じられる無言劇めいて、何の痛みももたらさなかったから。
揺り起されるべき感情は、あの男を無くしたときに全て殺した。今さら傷ついたりはしない。
そうして心を閉ざし毅然と立つ姿は、さながら生きながらに固く凍りついた百合の花に似て、皮肉なことにますます繊細な美しさを際立たせていった。

その殻から否応なく引きずりだされたのは、やはり義父に伴われたある夜会の席でのこと。
「やあ、子爵、やっと連れ出してくれたんだね」
厳つい護衛を邪険に払いあけっぴろげな喜びを表してこちらに近づいてくる青年を認めて、子爵が耳打ちする。
「粗相のないように。陛下でいらっしゃる」
ああ、と高耶はさめた眼で見つめた。
自分と同年輩に見えるおっとりと育ちのよさそうな青年。人懐っこく見つめてくる大きな瞳、屈託のない笑顔。 血筋正しくほどほどに無能でほどほどに見栄えのする飾り人形だと重臣たちに玉座に据えられ操られているという歳若い帝は、この方なのか、と。
傀儡とはいえ、帝は帝だ。臣下の礼を取ろうとした高耶の手を、帝は親しげに握り締め、はしゃいだ声をあげる。
「噂どおりに美しい人だ。どれだけ頼んでも北条殿はなかなかいい返事をくれなくてね。 あわせたら最後僕が我を張ってお抱え楽師にするとでも思ったんじゃないかな。君の兄上には本当に信用がないんだ」
礼儀正しく微笑みながらちくりと何処かが疼いた。 なにげない帝の言葉に、遠い昔の戯言が重なって。
「それとも、そんな窮屈な生活はごめん?慣れればそうでもないんだけど……。 ねえしばらく彼を僕に貸してくれるわけにはいかないかな?鴫立沢殿?」
玩具をねだる子どものような物言いに、子爵は笑いながら首を振る。
「いくら陛下のお望みであろうと頷くわけにはいきませんな。高耶には鴫立沢の家を継いでもらわねばなりません。 そのために学ぶことはまだ山ほどあるのですよ。とても出仕させる状態では……。それに少々蒲柳の質でもありますし」
そう言ってちらりと流し見る高耶は、すっかり血の気が失せていて今にも倒れそうにみえた。慌てて声を掛けようとする機先を制して 帝が高耶の背に手を添える。
「ああ、本当だ。顔色がよくないね。少し露台で風にあたったらどうだろう。僕が連れて行くから子爵はなにか彼に冷たいものを」
有無を言わせないその口調は、まさに命令し慣れた者のそれ。或いは我儘いっぱいに育てられた子どもだろうか。 伺うように盗み見た義父は苦笑いを浮かべるばかり。逆らうなということだろうと判断して、 高耶は、そのまま帝に付き添われて露台へと広間を横切った。
ふたりの進路を邪魔するまいと波のように人が引き、一瞬、周囲の人垣が途切れる。それを狙っていたように、帝は高耶に囁いた。
「まさか、一気に青ざめるなんてね。覚えていたんだ。ずっと」
「え?」
間近で見交わす瞳には子どもじみた陽気さに代わり心の底まで見透かすような鋭い光が宿っている。 これが素の貌なのかと、息呑む思いがした。この帝も何かと真剣に闘っているのだろうかと。
高耶の当惑に、帝はすぐに剣呑な気配を消した。露台の隅に設えてある長椅子まで高耶を導き座らせると、身を屈めて甲斐甲斐しくクッションの位置を直したりする。 畏れ多さに固辞しようとする高耶にかまわず、ことさらに顔を寄せた。
「物見高い連中にちょっとしたお楽しみを提供しているんだよ。遠目からだと、この体勢は僕が何か君に無体を仕掛けているように見えるから。 君の義父上あたりがさぞかし気を揉むだろうね。そして僕と君にはまたひとつ芳しくない噂が増えるわけだ」
どこまで本気なのかわからない悪戯っぽい表情で一気に囁いて、勢いよく身を離す。
「それじゃ、僕はひとまず退散するから。人払いをしておくから少し此処で休んでいるといい。懐かしい人に会えるかもしれないしね」
「……陛下?」
あっけに取られる高耶に謎めいた言葉を残して帝は広間へ戻っていった。
暗がりから眺めるせいで、会話は聞こえずとも中の様子はよく解った。
遠巻きにしていた人々がまたざわめき出すのも、その中には義父の姿もあって帝と言葉を交わしているのも。
ちらりと見える帝のしかつめらしい横顔、 いらだたしく頭を振るさま。そして向き合う義父の複雑な表情。手にしたグラスを見つめては所在なさげにさまよう視線。
どうやら自分は言い寄る帝に肘鉄を食わせ不興を買ったことになっているらしい。なるほど、これでは確かに誰も自分に近づけない。あの義父でさえ。
破天荒な振る舞いに、思わず笑みがこぼれた。
こんな風に笑うのは何時以来だろう。 久しぶりに胸に溢れた温かなものをかみ締めながら頭を巡らして、そして高耶は凍りついた。

露台の手すりの向こう側、何もないはずの中空に、見知った人影が在った。




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唐突に譲くん登場。。。(^^;)
まだ区切りのいいとこじゃないんですが ひとまず此処まで。






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