銀のスプーンをくわえて生まれてきたような、と、よく他人からは評された。 裕福な家庭に生まれ、好きで習いはじめた絵の才を伸ばし、とんとん拍子でイラストレーターとして身を立てるようになった ―――天から二物も三物も授かった幸運な男だと。 やっかみ半分のそんな風評が耳に届いても、男は、ただ微笑むだけだった。 二物どころか天賦の才には恵まれなかったことを、男は自分でわきまえている。 それでも、こつこつと努力を積み重ねて他人に認められるまでになった、その道程と結果に、充分に満足していた。 充実した日々。 永遠に続くかと思っていた日常は、或る日を境に崩れ去った。 突然我が身に降りかかった病魔によって。 緊急入院と検査の末に家族が呼ばれ、ともに医師の宣告を聞いた。 身体も思考も、麻痺したように動けなかった。まるで自分の代わりのように泣き崩れている母や姉の姿だけが、 その日とそれに続く数日間の、唯一、鮮明な記憶だった。 感情が死に絶えたまま日数を送り。 やがて男は周囲の人間の、微妙な変化に気づいた。 取り乱した姉が我知らず洩らした一言で、男の病状は周囲に知れていたのだ。 憐れみの視線や腫物に触れるような態度が、病以上に、男の自尊心を傷つけた。 創作を口実に、実家の所有する別荘に居を移したのはそれからほどなくのことだ。 世捨て人のように、それまでの関係を断った。 逃げだしたのだ。煩わしいすべてから。 皮肉なことに、自ら望んだその生活で、今度は寂寥に苛まされた。 人によっては残りの命を燃やすように渾身の作品を手がけるものもいるだろう。 が、絵筆を握る気力さえ湧かなかった。あれほど打ち込んだ生きがいが、時間を限られたこの時期に自分の支えにならないことが、 病気とは別の意味で男を打ちのめしていた。 そんなときに、彼に遭った。 そして二週間後、身体だけは復調した少年を男は手元に引き取った。 純粋な親切心からではない。 彼の身の上に深く同情はしたが、それだけではない。 無意識にせよ、それは周到な打算の上の行動だった。 自分は―――、おそらくは優越に浸りたかったのだ。 そのための贄に、彼は絶好の存在だった。 死にゆく我が身よりさらに不遇な彼を側に置き留め、高みから見下ろすことで、己の不幸を薄めたかった。とりあえずは自由に行動できる身体と思考、精神、正常な五感。 そのすべてを喪したこの子に比べれば、ほら、自分はまだこんなにマシじゃないかと、そう彼を踏み付けにすることで、日毎夜毎に襲い来る明日への不安から目を逸らしていたかった。 幼なじみの医師は、そんな男の深層に気づいていたろう。 それでも、彼を託してくれた。入院中、彼の送っていたスケジュールを詳細に書きとめたメモと一緒に。 日に一度、必ず連絡を取りあうことを条件にして。 こうして、彼と暮す日々が始まった。
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