夕凪
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―――海を眺めにいきませんか?
とびきりの美丈夫にとびきりの笑顔でそう誘われた。
これで相手が可愛い女の子だったりしたら間違いなくデートの申し込み、 大喜びで承知する場面なのだろうけれど、あいにく誘われている自分は成年男子で、誘いをかけている本人もそうで。 特別懇意なわけじゃない知人のくくり、そもそも歓待する謂れもない学生の自分に、なんでこいつがこんな台詞を?
真意を量りかねて視線を逸らし、曖昧に笑うしかなかった。
その愛想笑いを、男は遠慮と取ったらしい。言葉をさらに重ねてきた。
交際の広い実家に、何件か新規ホテルの招待券が送られてきたこと。義理を果たすにしても あいにく使い勝手のいい都心の分は先に兄姉に取られてしまって、割り当てと称して自分に残されたのは遠方の海辺のホテルのものであること。
元々運転するのは苦にならない。けれど一人の遠出は味気ない。といって、一泊の小旅行に女性は誘えないし、今回は友人たちの都合もつかなかったのだ―――と。
「高耶さん、いつだったか海が好きだと言っていたでしょう?だから、一緒にどうかな?と思って。 あなたに断られたら、私は話し相手もいないまま長距離を運転をして、食事して、泊って帰ってこなきゃならない。 そんなの、侘びしすぎるとおもいませんか? お願いします。私を助けると思って、どうか付き合ってください」
背の高い秀麗な顔立ちの男が眉尻下げ、拝むようにして頼んでくる。
そうか、ピンチヒッターなんだ、と、少し安心して、少し複雑な気分だった。
要するに暇つぶし要員として、この男は自分の存在を思い出してくれたらしい。その程度の認識なのだと。
それでもさもない世間話の中味を覚えていてくれたのは嬉しかったし、もちろん、海辺に行けるというのも純粋に心躍る申し出だ。 しかも、誘ってくれる男はどこまでも礼儀正しく親切で、今も年下の自分が返答するのを固唾を呑んで待っている―――忠実に主人に付き従う賢くて美しい大型犬みたいに。 いつまでもこの男にそんな表情をさせているのも申し訳ない。
「ほんとに迷惑じゃないなら。オレでいいなら都合つけるけど」
ぼそりと呟いたとたん、ぱあっと輝いた男の貌がまた見物だった。
大輪の花のような笑顔。
男なのにとかおっさんなのにとか心で難癖つけてみても、やっぱり見惚れてしまうほど、キレイな男。
そんな男が最上級の笑顔としあわせオーラを振り撒いて、自分の手を握ってくる。思わずといった態で、ごく自然に。
「ああよかった。どうもありがとう、高耶さん」
いや、その、そんな。
包み込まれた掌の感触に動転してへどもどしているうちに、話はどんどん男のペースで進められて。
思いもかけなかった直江との一泊旅行が決まったのだった。

そしてやって来た週末、誘った立場を割り引いても、直江は最高の同伴者だった。
ホテルの建つ海辺はかなり遠方、高耶にはほとんど馴染みのない土地だったから、もっぱらプランを練るのは男の役目、 あそこに行こう此処にも寄ろうと提案されてもぴんとこなくて気のない返事をしていたのだけれど。
いざ出発してみれば、それは心浮き立つとても楽しい一日になった。
車中の会話ひとつにしても、気遣われていると悟らせることなく直江は高耶を寛がせてくれる。 数時間のドライブの後、それまで山並みばかりだった眺めが一気に拓け、前方に待望の海がせり出してきたときにはなおさら。
磯辺に下りた散策や漁港に面した地元の店での腹ごしらえ、展示施設が充実していていつまででも見飽きない水族館。
グッズまであれこれ買い込みようやくゲートを抜けた頃には、あたりには夕暮れの気配が漂っていた。



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……高耶さん、それ、絶対口実だから(笑)






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