イノセントガーデン
―5―





  くるくるとこまねずみのように高耶はよく動く。
あの夜以来、高耶は自分の存在理由を家事全般を受け持つことに求めたらしい。 それは見事な采配ぶりで、おかげで直江の生活の質はずいぶんと向上することとなった。

そうして冬が終り、春が巡り、季節はどんどん過ぎていく。

「まったく!これじゃ、どっちがどっちの世話してんだかわかんないわよね……あ、ありがと」
差し出されたアイスティーのグラスを受け取りながら、呆れたようにため息をついて綾子が笑う。
本当のことだから、直江は苦笑をするばかり。 茶菓を運んできた高耶は困ったように綾子を見る。
「この子はお手伝いさんでここにいるんじゃないんですからね。あんまり便利に使っちゃダメよ。 ……ほんとにこの男は。甘やかすとどこまでもつけあがるんだから……。あんたばっかり割り喰ってるんじゃない?高耶?共同生活なんだから家事はきちんと分担しないと」
と、まるで小姑みたいなことを言う。
新しい連載を持つことになった直江の担当編集者だという綾子は、実に頻繁にこの家にやってくる。
持ち前の明るさと押しの強さを武器にして、しり込みする高耶のこともまるで弟のように扱って、そのかまわれ方が心地よくて、いつのまにか、高耶にとっても姉のような存在になっている。
今日も純粋な仕事の用件だけではなさそうだったから、直江が目線で促してくれたのを幸い高耶はそのままリビングに腰を据える。そして同居人を弁護するのも忘れない。
「そんなことないよ。直江だってちゃんと手伝ってくれるから」
「たとえばどんな?」
興味津々という顔で綾子が訊いた。
「買い物の時に車を出してくれる。オレまだ免許持てないから本当に助かるんだ」
あくまで真面目に言う高耶にぷぷっと綾子が吹きだした。
「そりゃそうよ。それくらい当然よ。だいたい一番近いバス亭まで徒歩二十分それも運行は一時間に一本だけ。手近なスーパーまで行くのに車で十五分なんて編集者泣かせの辺鄙な土地に住んでるこいつが悪いんだからっっっ!」
やけに交通手段にこだわっているのは、最初にここを訪ねた時のその悪印象に他ならない。
うっかり公共交通機関を使ってやってきて、そのアクセスの悪さにきりきりまいさせられたのを、いまだに根に持っているのだ。
ちくちくと絡む綾子に辟易したのか、やがて直江がなにやら言い訳めいたことを呟いて席を立った。
その折に見せたまるで高耶に助けを求めるかのような視線がおかしくて、綾子は笑いをかみ殺す。が、そこは武士の情け。見て見ぬふりをしてあげる。
「で、どうなの。ほんとのとこ。なんか不自由はない?こんな場所じゃあ、あんた、遊びにもいけないでしょう?」
「ううん。本当に直江がよくしてくれるから。学校も勧めてくれる。編入でも大検でもいずれ進学するために準備はしておいた方がいいって」
「そうねえ。学歴はあって邪魔になるもんじゃないしね……」
「でも、そこまで甘えていいものかな?直江は気にするなって笑ってくれるけど。それに……」
不意に、高耶は何か思いついたように言葉を切った。
「それに…なあに?何か心配事があるならなんでもこの綾子さんが聞いてあげるわよ?」
「そんなんじゃないんだけど……ちょっと不思議で。直江って、なんでこんな不便なとこに住んでんだろうって……さっきねーさんも言ってただろ? もっと都心の方が仕事の上でも都合がいいんじゃないかな?」
「そうねえ…確かにそうなんだけどね」
すらりとした脚を組替えて、天を仰いで綾子は嘆息した。
この女性には珍しく躊躇っているようでもあった。
「もしも人付き合いが厭なんだったら、オレがいつまでも居座るのも申し訳ないし……、勉強より何か仕事を見つけて独立した方がいいか……とも思うんだ」
綾子が再びため息をついた。がっくりと肩を落として、上目遣いに確認する。
「あんたは本当に何も聞いていない?その、ここに住む経緯を。直江から?何も?」
「?」
高耶の顔を見れば問うまでもなかった。
直江の語らないことを高耶に告げるのは気が咎めたが、それ以上に、間違った方向に遠慮して不毛な堂々巡りをするこの少年を放ってはおけない。そう、心を決めて綾子は語りだした。
「直江はね、飼っていた猫のためにここに引っ越したのよ。都心のマンションから」
「猫?」
「そう、ちょっとした事情があってね、生まれたばかりの仔猫を直江、育てていたの。それがある日突然、いい物件が見つかったから引っ越すって。その理由がね、その仔が土の感触や自然の風を知らないまま大きくなるのは可哀相だからってっ!まったく笑っちゃうわよね」
そう言いながら泣き笑いのような表情を浮かべる綾子を、高耶は見つめる。
今のこの家に猫はいない。直江も一言も口にしない。それは……。
高耶の疑問を綾子が引き取った。
「その猫ね、ある日突然いなくなっちゃったの。もう二年も前になるわ……」
「いなくなった?」
「そう。家出したのかもしれない。遠くに遊びにいってそのまま迷っちゃったのかもしれない。誰かに拾われたのかもしれないし、或いは……」
「……死んじゃった?」
「はっきりとは言わないけどね。その当時の直江の落ち込みようが半端じゃなかったから、誰も口に出来なかったの。でも、そうなんでしょうね。生きていたらきっと戻ってくるはずだもの。それぐらい想いあっていたのよ。直江とあの仔」
遠い眼をして綾子が笑う。
「その猫ね、高耶って名前だったの」
「!」
「そう。あんたと同じ。最初に、同じ名前の記憶のない男の子を引き取ったって聞いた時、あたし、とうとうそこまでおかしくなっちゃったのかって思ったわ。よりにもよって人間を猫の代わりにする気かって……。 でも、違ったのよね。直江は名前なんかに関係なく本当にあんたのことが好きなのよ。見てれば解る。 そしてあんたも。ここは……この家はあんたにとっても心地よくない?」
そう言って綾子の見つめるテラスの先には、手入れの行き届いた庭の眺めが広がっている。
荒れ放題だった庭を好きなようにしていいといわれて、高耶が丹精こめて育てた花々がそこかしこに咲いている。
中でも見事な一群は書斎の正面の一画だった。
仕事で根を詰める直江に少しでも安らいでほしくて、土を耕し、球根を植え、種を蒔いた。
夜型の直江がほとんど目にすることはないとわかってはいても、香りだけでも届けようと、出来るだけ、良い匂いのする花を選んだ。
早春の水仙、ヒヤシンス、春爛漫の芝桜、そして初夏のラベンダー。
陽射しを和らげようと棚を組み、そこに蔓咲きの薔薇や藤蔓を這わせた。
吹き抜ける風は薫風となり、夏には見事な緑陰をつくって、直江は目を細めながら高耶を労い、木陰でお茶を楽しむためにガーデンテーブルとデッキチェアまで買ったのだ。

そこまでしたのは、決して義務とか恩義とかそれだけじゃなかった。
直江が好きだから。好きな人に何かしてあげたかったから。ただそれだけ。
直江も、そうだったのだろうか?自分に対してそんなふうに思っていてくれるのだろうか?

黙り込んだまま視線を宙に飛ばす高耶を、綾子が慈愛のこもった目でみつめていた。




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半年やそこらで木蔭になるほどつるバラは育たないだろ?と、今思いました
量でカバーしたのかなあ?金にあかせて大苗移植したとか(おい)
まあ気分のモンダイってことで、よろしくです<(_ _)>





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