午後の陽射しを浴びて、黄金の粒子をまとったようにその庭は輝いていた。 日にさらされた土と草の乾いた匂いがする。切ない懐かしさで思わず泣けてしまいそうな。 この感覚を自分は確かに知っている―――高耶はそう思った。この風景。この薫りを。 いつか、どこかで。 「さあ、そろそろ中へ」 促す声に我に返る。 「うん……」 期待と不安でいっぱいにして高耶は足を踏み入れる。これから始まる新しい生活へ。 リビング、書斎、キッチンに洗面所……順番に家の中を案内されて、最後に直江がドアを開けてみせたのが、高耶のための部屋だった。 シンプルな内装。そして家具。そのどれもが真新しい匂いをさせていて、思わず高耶は後ろに控えた直江の方を振り返る。 「とりあえず当座に必要なものだけは用意しましたけど。明日にでももう一度買い揃えに行きましょう。すこし休んでいていいですよ。 荷物の整理もあるでしょうし。私はリビングにいますから、用があったら声を掛けて下さい」 「うん……ありがとう……」 立ち去る背中にかろうじて御礼だけは言って、高耶は呆然と床に座り込みまじまじと室内を見回す。 つやつやとしたむく材の机。クローゼット。最小限といいながらも決して安くはない品だ。 整えられたベッドの上には数組の下着や衣類がきれいに畳んで置いてある。それらは、高耶自身の僅かな手荷物よりもはるかに充実していた。 「なんでここまでしてくれるのかな?」 出逢ったのは収容先の病室。それ以前は面識も接点もない見ず知らずの他人のはずなのに。 なぜか懐かしくて食い入るように見つめてしまった。視線が外せなかった。 何を問われても口を開くことさえ出来なくて、初対面だというのにいったいどんな印象を持たれたかと、あとでがっくりと落ち込んだりもしたのだが。 その後、直江と名乗ったその男は頻繁に見舞いに来てくれた。 そして、一緒に暮らそうといってくれた。身の振り方が決まるまでの引受人になるからと。 躊躇いながらも頷いてしまったのは、他に行き場がなかったことと、なにより直江の側にいたかったから。ただその眼差しに見守られていたかった。 それでも。 自分に対してどこまでも優しくしてくれる男に、時折、どうしようもなく不安がこみあげる。 直江の好意に見合う、いったいどれほどの価値が自分にはあるのだろう?と。 ちょうど今がそうだった。 嬉しさより戸惑いが先に立って、ついため息が漏れた。逡巡しているうちに時間だけが過ぎていく。 気がつけば、夕暮れが迫っていた。 無造作に荷物をクローゼットに押し込んで、高耶は気を取り直し、リビングに向う。 ちょうど直江が夕飯の仕度に取り掛かるところだった。 さっそく手伝わせてもらうことにして、二人でキッチンにたつ。 野菜を刻み、卵を割り、菜箸でかき混ぜ、フライパンに流し込む…直江の指示に従ってオムレツを焼く高耶の手つきはなかなか堂に入っていて、 それは、以前から彼がそういう家事に慣れ親しんでいたのだと思わせる。 「お上手ですね」 「そうかな?」 お世辞でない直江の言葉に、高耶は言われてはじめて気づいたという表情をした。 「なんだかこういうことは覚えてる……気がする。たぶん、洗濯とか掃除も大丈夫だ。動かし方知っているから。……明日、試してみていい?」 「もちろんです。どんどん試してみてください」 「うんっ!」 ようやく自分にも出来ることが見つかって、たちまち気分が浮上する。とりとめのない直江との会話がわけもなく楽しい。 だがそうやってはしゃぎすぎた反動は、食後の後の眠気となってあらわれた。 ソファの沈み具合が気持ち良くてついつい深く持たれてしまい、うっとりと眼を閉じる。 そうやってすっかり寛いだ様子の高耶に、直江はそっとお茶の入ったマグを差し出した。 カップを受け取るために慌てて姿勢を正しながら、もごもごと礼を言う。 が、マグからたちのぼる湯気の香りに訝しげに首をかしげた。 「……あなたにはハーブティです。眠れなくなると困るから。」 「……」 「甘くしたからさほど飲みにくくはないはずですよ?気分が落ち着くんだそうです」 宥めるように言われて、ようやく高耶が恐る恐る口にした。 「…ほんとだ。おいしい」 零れるような笑顔に、直江もほっと頬を緩ませる。 実はハーブティの効能も味付けも、すべて知り合いからの受け売りだったので。 「直江のは?」 そう言って高耶が手許を覗き込むのは、自分のものとは違う直江のカップの中身に興味があるかららしい。乾杯するように軽く持ち上げてみせた。 「私は珈琲です。ブラックの」 とたんに顔を顰めたその表情が、見ていて愉しい。 「よく飲めるな。しかも、そんなたっぷり……それこそ眠れなくなるんじゃ?」 無心に問われてつい本音が出た。 「眠くなったら困るんですよ。これから……」 「ああ、仕事なんだ」 台詞の続きを先回りして答えた高耶が、すまなそうな顔をした。 退院の手続きやらなにやらで、自分のために丸一日直江の時間を潰させてしまったことを今更ながらに思い至ったらしい。 自分の失言に内心で舌打ちしながら努めて直江は軽く言う。 「もともと仕事のときは夜型なんです。でも病み上がりのあなたを私のペースにつき合わせては申し訳ないから……。 気にせずに休んでくださいね。病院ではそろそろ消灯時間のはずでしょう?」 からかうような口調に、高耶がふくれっつらをした。 「……そんなこどもじゃない」 「……これからはずっと一緒に暮らすんです。なにも初日から私に合わせることはない。 これを飲んだらお風呂に入って今日はもうゆっくり休んでください。ここに来る途中も寝ていなかったし、疲れているでしょう?」 こうまで真顔で心配されては反論の余地はない。 高耶は無言でお茶を飲干して立ち上がる。 「……じゃ、風呂遣わせてもらうから。ごちそうさま。それと、おやすみなさい」 「はい。おやすみなさい」 ――おやすみなさい。またあした。今日も一日終わったね―― そんなニュアンスのあいさつを交わして、ふたりにとって長かった一日は終わるはずだった。 少なくとも直江はそう思っていた。 が、高耶にとってはそうではなかったことを思い知らされるのは、数時間後のことになる。 |