帰去来
―3―




再会は、思いもしない波乱とともにやって来た。

一瞬、自分の目が信じられなかった。
譲の家から降りてくる長身の人影。見間違えようもない、懐かしい面影。
けれど、彼を取り巻くこの雰囲気の違いは一体なんなのだろう?
見慣れぬ黒いスーツ姿というだけではない、ぴりぴりと伝わってくる波動に射竦められたように、高耶は一歩も動けなかった。 声すら出せなかったのだ。
そのまま行きずりのようにすれ違う、その瞬間にすら一瞥もくれない彼の仕種に、胸が灼けた。
待てよ、と、必死に声を絞り出したのは彼が車に乗り込もうとする刹那。
かろうじて掛けた制止の言葉は、やはり語尾が震えていたかもしれない。
直江、と。一番に呼びかけたい名前はとうとう口にすることはできなかった。
そして、彼は、呼びかけには応えずに走り去り、呆然と高耶はそれを見送る。

なんで?
同じ疑問符だけが頭の中をぐるぐるまわる。
直江のあまりの変わりように。その厳然たる事実に軋む自分の心に。
譲の家から出てきたこと。他人行儀なその態度。
何があろうと、松本に来たからには自分が一番に優先されるのだと無意識に信じ込んでいた、 それが独り善がりに過ぎなかったことに傷つき、その場で感情を爆発させなかった自分に腹が立った。
沙織という第三者がいたから?
いや違う。
怖かったのだ。
自分に対して直江の取ろうとする態度が。その口をついてでる言葉が。
赤の他人と同列に扱われる、その瞬間に耐えられそうにもなかった。だから、怪訝そうに訊いてくる沙織の質問はすべて無視してそのまま譲の家に向かった。

そこで、聞きたくなかった事実を聞いた。
やはりあれは直江だった。同時に、不可思議な術を使う高耶の知らない直江だった。

眠れないまま夜を過ごした、その翌日。
高耶の前に姿を現した直江はやはり剣呑な空気を纏っていた。
お久し振りです。
そう挨拶する声音にもう以前の慈しみは感じられない。

連れ出されたのは、千曲川沿い。そして妻女山の見晴らし台。
そこで、直江は信じられないような事実を高耶に告げた。
まさしく晴天の霹靂だった。
もちろんにわかには信じられない。
何よりも、直江が自分を見出したのはもう六年も前のことだ。何故そのときに告げなかった?
うわずる声で訊ねると、直江はかすかに微笑した。
あなたがあまりに幼かったから。と。記憶も力もないお飾りの総大将を戴くよりは、自分の裁量で動きたかったのだと。
では何故そのまま打ち捨てておかなかった?なぜあんなに構いつけた?
保険です。
こともなげに直江は言い放った。
あなたの潜在能力は侮れない。いつか必要になる時のために所在だけは常に確保しておきたかったのだと。
冷徹に正論を突きつけながら、不意に直江はいたましそうな貌をする。
出来ることなら、使命とは係わらないまま自由に生きてほしかったのですが……。でもそれも限界ですと。表情を引き締めて直江は続けた。
譲さんの変調はあなたも承知しているでしょう?彼は憑依されている。残念ながらすでに私の手には余る相手です。あなたの…景虎さまの力が必要なのです。 そのためにお迎えにあがりましたと。
打って変わって慇懃に頭を垂れ、臣下の礼を取る男の姿を、打ちのめされた思いで高耶が見つめる。
混乱した頭では何を言えるわけもなく、直江もその心中は察したのか、それ以上は何も語らず黙って家まで送ってくれた。


  「でも、よかった。こうしてまた直江さんと会えて」
我が身に降りかかった災厄をものともせずにふわりと譲が笑った。買い物帰りの川べりの道で。
「あ、オレだけじゃなくて高耶のために。あんなふうにじゃれている高耶見るのは久し振りだったから。
直江さんがいなくなってから、高耶、すっごい落ち込みようだったんだから。知ってた? オレほんとに恨むとこだったよ。直江さんのこと。あんなになった高耶ほったらかしにしてるんだもん。なんで連絡くれなかったの?」
邪気のない瞳に問い詰められて、直江は応えに詰まる。ここ数年、おそらくは誰よりも高耶を近しくみつめていた者の言葉に。
「でも、彼はとても元気そうでしたね。今時の若者らしい、熱中できる素敵な趣味を持っている。私がいてもいなくても、もう関係ないでしょう?」
「うん。見かけはね」
ことさらに笑いを含んで切り返した言葉にも、譲はひっかからなかった。
俯いて、小石を蹴りながら訥々と話す。
「高耶さ、あんな性格でしょ?バイクに興味を持ち始めたのはいいんだけど、そうすると結構ヤバげな連中に誘われたりもしてたんだ。 傍にいてもちょっと心配だった…。高耶、時々投げやりにみえること、あったから。直江さんがいてくれたら、って、何度思ったか知れない。 でもね、高耶そのたびに踏ん張って、自分で始末をつけていた。 美弥ちゃんや、お世話になってる和尚様たちに迷惑かけるわけにはいかないからって。それはもちろんその通りなんだけど。でもそれだけじゃなくて。 高耶の中にはずっと直江さんが棲んでいたんだ。心の奥で芯になってずっと高耶のこと支えていたんだよ。……だから、頑張ってこれたんだと思う……」
まっすぐに見つめて譲は言った。
「何があったのかは知らないけど。高耶の気持ちは無にしないでください。お願いします」
改まった態度で深々と頭を下げる譲に、直江は声を失う。

高耶の中では、自分が芯になって支えていたという譲の言葉に。
その芯が折れたとしても、彼は今まで通りでいられるだろうか。
それまでと同じ気持ちを、自分に向けてくれるだろうか。
心無い言葉と態度をわざと彼に浴びせ、寄せられていたであろう無垢な信頼を自ら砕くような真似をした、この愚かな男に。




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