帰去来
―5―




――数週間後

校門から少し離れた道端に、人待ち顔で小型車が停まっている。
嫌な予感に息を呑んだ高耶だが、視線の先の車は、その可愛らしいフォルムやヴィヴィッドな色使いで主に女性に好まれている車種だ。 間違ってもあの男は乗らないだろうし、綾子の趣味とも違う気がする。つまりは、自分ではなくほかの誰かを待っているのだろうと、そう思い直して脇をすり抜けたそのとたん、
「高耶くん!」
元気よく呼び止められて飛びあがった。
「…冴子さん?!」
忘れようもない美しい面差しの女性が身を乗り出すようにして窓から手を振っている。
「お久し振り。ねえ、よかったら、ちょっとオバサンにつきあってくれない?」

「およその下校時刻は美弥ちゃんに聞いてたんだけど、三十分待って逢えなかったら、諦めよう思っていたの。運が良かったわ」
「はあ…」
助手席側のドアを開けられ、気圧されるようにそのまま乗り込んでしまった高耶に、冴子はにこにこと笑いかける。
「美味しいジェラートのお店が城址公園にあるんですって?そこに行きたいから、松本城までのナビお願いね」
言うなり、発進させるものだから、慌てて高耶が応じた。
「城なら、そこの二つ目の角右折してください」
「了解」

その間、およそ一分。

「仰木くん、またナンパされちゃってるよ…」
校門では、たまたまその現場を目撃した沙織が、走り去る車を見ながら呆然として呟いていた。

その後のちょっとした騒動を知る由もなく、的確な指示に従って冴子の運転する車は順調に駐車場へと乗り入れた。
「助かったわ。いつもは乗せてもらうだけだから、松本の街は詳しくないの。でも本当に高耶くんナビ上手ねえ、説明慣れしている?」
「ええ、まあ…」
バイトの性質上、解りやすい案内を心がけるのも仕事のうちである。が、ついそれだけに集中してしまい、会話らしい会話を交わしていないことに気づいて、急に高耶の口は重くなった。
そういえば何故冴子が此処にいるのか、その理由さえ聞いていないのだ。
そんな高耶には構わずに、冴子はさっさと車を降り優雅な仕種で日傘を広げる。
「で、そのジェラート屋さんはどこかしら?高耶くん知ってる?」
などと訊いてくる。
「それなら、芝生の向こうのスタンドです。原材料に地元の食材を使ってるって、鳴り物入りではじめたとこだと思うけど…」
あいにく自分は食べたことがないから。と続けた高耶に冴子が目を輝かせる。
「じゃ、一緒に食べよ?ね?」
否応もなかった。

エスプレッソのフレーバーと、果肉のたっぷりまざったダブルベリーのと。
それぞれをコーンとカップとで頼み、手の塞がっている冴子に代わって高耶がそれらを受け取る。 椅子席はあらかた学校帰りの学生に占領されていて、その隙間を縫うようにして少し離れた木陰のベンチへ向った。
パラソルを窄め、腰掛けた冴子にダブルベリーのカップを手渡す。
「ありがと」
その笑顔に吸い込まれるように、高耶も隣りに腰を下した。
そうして、しばらく無言でアイスを口にする。こくはあるのにくどくはない風味豊かなその味は評判どおりに美味しかった。
黙々と舐めていると、突然、隣りでくすくすと冴子が笑い出した。
「?」
怪訝そうな高耶を悪戯っぽく見つめる。
「ね、私たち、あの子たちにどんな風に見られているかしら?」
ちらりと流し見るその先には賑やかにおしゃべりに興じている女の子たちがたむろしている。
その中の数人が、つられるように顔を向けた高耶から慌てたように視線を逸らした。
「??」
さっぱり事情が飲み込めないでいる高耶に冴子は楽しそうに種明かしをする。
「とし子小母さまがね、昔こんなことを言っていたわ。スーツ姿の義明と連れ立って歩くと、道ですれ違う人の大半が振り向くんですって。 若いツバメをはべらしているようで、とてもいい気分だった。なんておっしゃるのよ」
「それって…」
ようやく意味を悟って高耶が絶句する。
「でも、高耶くんと私とじゃちょっとムリがありすぎるわね。やっぱり親子にしか見えないかな?」
「そんなこと、ないです…」
自分とひとまわり近くも違う直江のさらにひとまわり以上も年上なのだから、実年齢の差だけを考えれば、そういえなくもないけれど。冴子の外見はどう見ても三十代にしかみえない。
今も夏のスーツをすっきりと着こなしていて、制服姿の自分とは、親子というより教師と生徒のように他人の目には映っているのかもしれない。どちらにしても場違いな組み合わせには違いないから、高耶は俯いたまま、ほてった頬を冷ますようにアイスを食べることに集中する。
 そんな高耶を、微笑みをたたえて冴子がみつめていた。
「本当に高耶くん大きくなったわねえ……」
しみじみとした口調に視線だけを上げてみる。
「さっき待っていたときね、実はドキドキしてたのよ。高耶くん育ち盛りの高校生なのに、逢うのは三年ぶりなんですもの。変わりすぎていて見つけられなかったらどうしよう?って」
「……すいません」
言外に不義理を責められた気がして、つい謝る言葉が口をついた。当の冴子にそんな含みはないことは、優しげなそのまなざしからも明らかなのに。
案の定、冴子はゆるゆると首を振る。
「あなたが謝ることじゃないわ。それを訊きたいのはむしろ私たちの方。去年の夏、今年こそはって思っていたのに、バイトが忙しいからって、とうとう遊びにきてもらえなかったでしょ。少し心配だったの。 高耶くんに来たくないほど気まずい思いさせていたのかな?って」
義明が…なんだかんだ理由をつけてついに逢わず終いだったから、と。
申し訳なさそうな声に慌てて高耶がかぶりを振った。
バイトに明け暮れていたのは嘘ではないし、そしてそれを口実に橘の家への滞在を断れるとどこかほっとした思いがあったも事実だけど。
それは、気まずいとかそんなものじゃなくて。ましてや、橘の家の人たちのせいでもなくて。
そこは直江の居場所だから。
歓迎してくれるとは解ってはいても、それに甘えてむやみに立ち入る場所ではなかったから。少なくとも、直江が自分との距離をおきたいと願っていたのだったら。

距離をおきたい?
ふと、自分の言葉が引っ掛かった。

何故、直江がこの地を引き上げねばならなかったのか。
多少の事情を知らされた今なら、納得できる。あのまま自分がそばにいたのでは怨将退治に支障があった。それだけのことだ。
人手がいるなら、いっそそのときに打ち明けてくれてもいいものをと、恨めしく思う気持ちもないではないけれど、年端もいかない子どもを巻き込むのはかえって面倒だったのかと、あまり深くは考えなかった。
考えたくなかったのだ。直江にお荷物扱いされる自分のことなど、ひどく惨めな気がして。

つい最近の直江との再会が高耶に暗く影を落している。
高耶自身にそれを伝える気はなくても、その思いは解りやすいほど正直に滲み出てしまうものらしい。
俯いてしまった高耶に、気持ちを引き立てるように冴子が話し掛けた。
「……身体がおおきくなっただけじゃなくて、高耶くんは心もきちんと育っている。さっきのナビ、とても解りやすかったわ。あれって一生懸命勉強しているからできることよね。そうやってあなたはどんどん自分の夢を実現させているのね。本当にえらいと思うわ」
そんなことはない。寂しさを忘れたくてやっていたことだ。直江のことを考えないですむように。
そんな思いで、高耶は面を伏せたまま頑なに首を振りつづける。
「まったく、それに引き換えあの子ときたら」
(えっ?)
天を仰いで嘆息している冴子を、高耶は思わず覗き見た。その「あの子」が誰を指しているのかは言われるまでもなかくわかったから。
「……また以前に戻ってしまったみたい。腰が落ちつかないったら。こんなことなら、あのまま小父さまたちの養子に入って跡取にしてもらうんだったわ。 そうしたら、今頃、こっちで真面目にお寺を継いで、高耶くんともずっと一緒にいられたのにね」
「………」
高耶がなんともいえず微妙な表情になる。実際、そうなることを少しも疑わずにいたからだ。あの頃は。
まるで夢見たいな話だと思う。
何も知らずに、あのまましあわせな時間だけが流れる「もしも」の世界。
でも、それは決して訪れるはずのない未来だった。

「義明、先日怪我をして帰ってきたの……」
心臓が跳ね上がった。
「たいしたことはないらしいけど。少なくとも本人はそういうし、いい大人なんだから、周りが過保護にかまうことじゃないけれど。 でもね、もし、それで高耶くんまで類が及ぶことになったら。私たちはあの子を止めなくちゃいけない。今日はそれを確かめたくて来たの」
「冴子さん…」
「ね、正直に答えて。高耶くん、義明に何か無理強いとかされていない?大丈夫?ずっとほったらかしていたくせに、今頃こんな頻繁に通いだすなんて。迷惑だったら遠慮なく言ってちょうだい」




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が。ここからまた気恥ずかしさとの戦いでした。。。





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