うたかた
―2―




散らかりかけていた室内をざっと整頓して掃除を終える。
暇つぶしに雑誌でも読もうかと思案している時に、部屋にこもっているはずの直江がひょいっと顔を見せた。
珈琲でも飲むのかと思えば、躊躇いがちにここで仕事をしていいか?と訊いてくる。せっかく家にいるのなら少しでも近いところに居たい…という理由で。
苦笑いしながら頷いた。それは高耶もおなじだったから。

リビングで互いの存在を眼の端に映しながら過ごす休日。 

雑誌を持ち込み、お気に入りのCDを低く流してソファに寝そべる。テーブルを挟んだすぐ向かいには直江がいて、難しい顔で画面を睨んでいたかと思うと、ものすごい勢いでキーを叩く。 その不規則なリズムと、差し込む陽射しがとろとろと眠気を誘う。
全曲終わったのを機に、気晴らしをしようと高耶は一度キッチンにたった。
小腹が空いたときに片手でつまめるよう、小ぶりのおむすびをつくり、ほうじ茶の湯飲みと一緒にテーブルにおいて一声掛けると、高耶は再びソファに戻った。

よほど書類に集中しているのか、直江は、何時口にするかと高耶が時々投げかける視線にもまったく気づかないでいる。 これ幸いとばかり、用心深く雑誌を持ち上げながら端整な男の顔立ちを心ゆくまで眺めて過ごした。 いつもならまっすぐ自分に向けられる視線が伏せられているだけで、長い睫毛や彫りの深い造作が際立って、なにやら新鮮な気分だった。
───やっぱりいい男だよな。
脈絡なく思い浮かんだ言葉に、誌面の蔭で赤くなる。

不意に直江の手が皿に伸びて握り飯を掴み取った。
たったそれだけのことが、なぜか小躍りしたいほど嬉しかった。餌付けが成功した気分。ちょうどそんな感じだ。
心あらずの風情で口に運び咀嚼する直江を高耶は息をつめるようにして見守っていた。
目線は画面を睨んだまま、手と口だけが規則正しく動く。嚥下するたび、喉仏が上下する。飯粒のついた指先をぺろりと舐める舌先が妙に艶めいていて、思わずどきりとした。
息を呑む気配が伝わったのだろう、直江が顔を上げる。
「……どうしました?あ、美味しいですよ」
「……おまえって、握り飯食っててもサマになるのな……」
呪縛が溶けて脱力したようにつぶやく高耶を、直江が怪訝そうな顔で見つめていた。


  新しいディスクに換え再び雑誌をめくるうちに、いつのまにか高耶は寝入ってしまったらしかった。
はっと目を覚ましたとき、部屋に差し込む光はだいぶ傾いていた。
かちゃかちゃと磁器の触れ合う音がして、直江がキッチンから姿を見せる。両手に捧げもった盆にはお茶のセットが載っていた。
「……何時?」
「四時を回ったところです。ちょうど終わりましたから、一服しようかと思って」
「オレ……午からなんにもしなかったな……ごめん。後でお茶ぐらいは淹れてやろうと思ってたのに……」
「あなたの寝顔が何よりの息抜きでしたよ?それでこんなにはかどったんです」
歯の浮くようなセリフを抜け抜けと吐いて高耶を赤面させながら、直江は、ティーポットのお茶を静かにカップに注ぎ分けた。
ふわり……と花のような芳香が広がる。
すぅと高耶が息を吸い込んだ。
「……いい匂いだな。これ」
「……新作だそうです。どうぞ」
差し出されたそのカップを両手で包み込むようにして口元に運ぶと、高耶は立ち上る湯気をもう一度深く吸い込んだ。
  茉莉花のように甘くて柑橘系の爽やかさも併せもつ不思議な香り。
それは、口に含むといっそう際立つ。
喉から鼻腔に抜ける香りがやみつきになりそうで、高耶はうっとりと眼を閉じる。
気がつくと直江の顔がすぐそばにあった。
微笑みながら唇を重ねてくる。
昼日中のキスにしては思いがけないほど深いものになった。息を弾ませている高耶をようやく開放して、直江がなおも口の端に近づける。
「……こうやって花の香りのするあなたにくちづけてみたかった……。香りの成分が体中に染み渡って……きっと今のあなたはいつも以上に芳しいのでしょうね。……丸半日、懸命に自制して頑張った男にご褒美くださいませんか?」
「ばかっ……なにいって……」
きわどい台詞を口にしながらのしかかってくる男を高耶は必死で押し留める。
「さっさと送っちまえよ、それ。んで、終わったらメシ食いに行くんだろっ!こんなことしてる場合じゃ…」
「……つれないですねぇ。じゃ、今のは手付。残りは今夜にしましょうか」
物騒な物言いをしながらも直江は素直に高耶から離れた。
余裕の残したその仕種に、からかわれたのだと悟るがもう遅い。
頬に赤みを残しながら、高耶は黄金に縁取られた鮮やかな燈赤色のお茶を一息に干して、自棄になって直江に突き出した。
「おかわりっっ!」


カラダの奥が疼く。
直江の視線にさらされるだけで熾火でも抱えたように下腹が熱くなる。
直江の言葉が呪文のように高耶を縛る。
……冗談まじりの一言にこんなにも過剰反応してしまう自分がたまらなく恥ずかしく、腹立たしかった───

そして───
そんな高耶を直江はふかい眼差しで見守っていた───



戻る/次へ




・・・食べて寝るだけの話だと、本のあとがきにも書いてましたが(笑)
それ以前に設定が古いのはご勘弁ってことで
文中の茶葉はモデルがあります。やっぱりいい香りです♪






BACK