弱りきった身体が回復するのには、かなりの時間が必要だった。 生まれたばかりの赤子のように高耶は眠ってばかりいる。 その眠りと眠りのわずかな合間に根気よく滋養を摂らせる日々が続いた。 それでも雛鳥のように口移しだったのが匙を使うようになり、 重湯や上澄みだった食事が粥に変わり、 その量も増えてくる頃には、高耶の様態も安定してくる。 少しずつ目覚めている時間が長くなって、ようやく寝台に身体を起すようになった高耶に寄り添い、 長い時間をふたりで過ごした。 山のようなクッションと枕と直江の腕に支えられて、高耶は外に視線を飛ばし、吹き抜ける微風に目を細める。 甘えるように背中を男神の胸に預けて。 そんな仕種ひとつに満たされる、このうえない至福の時間。 そうこうするうちにまた寝入ってしまう彼を飽かず眺めた。 もう何も案ずることはない。陽が昇るのと同じように、時至ればこの眸は開く。 そこに浮ぶ瞳の色に怯えることもない。 目覚めを見届けたあの日。 声もだせず身じろぎも適わぬほどに衰弱していながら、彼は、その眼差しで自分を抱きしめてくれた。 自分が彼を手に入れたのではない。彼が自分を受け入れてくれたのだと解かった。 涙が零れた。 願いは叶ったのだ。 体力が戻るにしたがって、停滞していた高耶の時間も動き出す。 「少し背が伸びましたね」 「そう……かな?」 そう言って小首を傾げる仕種は相変らず愛くるしいままだけど。 人の子の成長は早い。 きっと「子ども」の彼はあっという間にいなくなる。夏草が繁る勢いそのままに。 それが嬉しいような淋しいようなと、直江はほろ苦く笑う。 庇護する必要もない凛々しい青年になっても彼は傍らに留まってくれるだろうか。 今のように無心に慕ってくれるだろうか。 もちろん手放すことなど考えられないけれど、彼の思うとおりに生きてほしい。そう願う心もまた本心だから。 高耶もまた彼なりにいろいろと思うところはあるらしい。 初めて外に連れ出した日のこと、やけに寡黙な高耶の様子に疲れたのかと気遣うと、逆におずおずと問い掛けられた。 「……直江って本当にえらい神様だったんだね」 言われてようやく己の迂闊さに気がついた。 多くはないが人目は避けきれなかった。行き交う者が自分に取る謙譲の態度が、高耶には衝撃だったらしい。 思いがけなく知ってしまった直江の身分が高耶を竦ませている。 「オレ……言葉遣いも知らないし……でもほんとは神官が使うような言葉で話さなきゃいけないんでしょ? それに……呼び捨てなんてすごい無礼なんじゃ…」 考えあぐねて声も掛けられなかったらしい。 「直江で結構ですよ」 「でも」 言い募ろうとする高耶をねじ伏せるように遮った。 「どうぞ呼び捨てにしてください。これは元々そういう名ですから」 「?」 「私のことを人は様々に呼びますが、この名を許すのはあなただけです。 同時にあなたのお守り代わりでもある。だから、気にしないで、今まで通りに呼びかけて」 「???」 ますます訳がわからないといった顔で見上げる高耶に、 ふっと表情を緩ませて直江が言った。 「まだ解からなくてもいい……。でも、約束してください。お願いだから」 そう、真摯に乞われては、高耶も頷くしかない。 「じゃ、これからも直江って呼んでいいんだね?」 「もちろん」 力強く請合われて、ようやく高耶がふわりと微笑った。 「よかった。ほんとは、このなおえって響き、すごく好きだったんだ」 「私も大好きですよ。高耶さんにそう呼ばれるのが」 するすると近づいてくるのを、広げた腕に抱きこんだ。 半日分の緊張が緩んで、すっかり馴染んだ居場所のように高耶はすっぽりと胸に収まる。 真名を許すのは伴侶にだけ。だから、この名を明かすことが想いの証。 今はまだその意味に気づかなくても。 あなたが呼ぶたび力の宿るこの言霊が、あなたを護りますように―――心密かに直江は念じる。愛しい人の黒髪を撫でながら。 薬種の奥庭は、百花繚乱の装いを呈していた。 色も形もその効能すらも様々に、咲き乱れる花たち。 どの花のどの部位をどう扱うのが効果的か―――試すことが多すぎて手が回らんと、主の男神が嬉しそうに語りかけるその傍ら、 記憶とはすっかり見違えてしまったその花園の入り口に、高耶は長いこと佇んでいた。 やがて歩を進め、跪いたその足元には、一群れの銀白と翡翠の芽吹き。 愛しげに手を触れながら、高耶は背後に寄り添う人影を振り返る。 「……つらいことなんかなかったんだ。直江。この花のおかげでオレは生き続けることができて、そのおかげでおまえに逢えた。 だから……感謝してる」 そう言いきる彼の強さ、魂の輝きに、花も自分も魅せられ続けていることをこの人だけが解かっていない。 微苦笑を押し隠して、柔らかく微笑む彼を抱きしめた。 「ならば私も感謝しましょう。あなたに引き合わせてくれたこの花に」 「うん……」 生まれ変わった花園は、程なく新たな花守を迎え入れることとなる。
|